土肥 モト(どひ モト、1878年1月19日 - 1953年3月6日)は、日本の教育者[1]。学校法人清水ヶ丘学園の母体の一つとなった土肥裁縫女学校の創設者[1]。
経歴
1878年(明治11年)生まれ[1][2]、広島県賀茂郡郷田村(現・東広島市)出身[1][注 1]。1898年(明治31年)に土肥吾吉と結婚(旧姓は埜田)するが、夫が若くして死去[3][4]。その後、上京して渡辺裁縫女学校に学ぶ[1]。同校卒業後の1908年(明治41年)、広島県郷田村に帰郷し、土肥裁縫女学校(清水ヶ丘高等学校の母体の一つ)を創設した[1][注 2]。1953年(昭和28年)死去、享年75歳[2]。
脚注
注釈
- ^ 一説に「1880年(明治13年)に広島県賀茂郡仁賀村(現・竹原市)で生まれ、郷田村に嫁いだ」とされる[3][4]。
- ^ 一説に「1908年に土肥女学館を創立し、その後に土肥裁縫女学校とした」とされる[3][4]。
出典
関連文献
- 西条町誌編纂室 編「土肥女子学園」『西条町誌』西条町、1971年3月、551-552頁。doi:10.11501/9572357。
- 清水ヶ丘学園 編「土肥モト理事(旧土肥学園理事長)死去及び学園葬、土肥女子学園沿革」『清水ヶ丘30年のあゆみ』清水ヶ丘学園、1982年6月、101-103,301-309頁。
- 東広島郷土史研究会 編「土肥女子学園、土肥モト」『東広島の歴史事典』溪水社、1997年7月、233頁。ISBN 4-87440-461-8。
関連項目