土屋馬之丞
土屋 馬之丞(つちや うまのじょう)は、江戸時代後期から幕末にかけての旗本。土屋家の第11代当主。 生涯土屋太刀三郎の長男として文化10年(1813年)生まれる。天保6年(1835年)書院番士となる。文久元年(1861年)大谷口村の名主伊兵衛、地頭村名主の仙佐衛門が武士の身分として登用し正式に家臣となる。元治元年(1864年)に太刀三郎の死去に伴い家督を相続する。 慶応元年(1865年)5月16日に第2次長州征伐のため徳川家茂に従い大阪へ大熊伊兵衛、脇谷仙佐衛門、菊五郎らと出陣する。大熊、脇谷の2名は戦闘員、菊五郎は後方支援要員であった。慶応2年(1866年)9月幕府軍の撤兵に伴い京都に移る。馬之丞や大熊伊兵衛は実際の戦闘に参加することはなく、大坂や京都に滞在したまま、慶応3年(1867年)2月12日京都を発って東海道を江戸へ向かう。慶応4年(1868年)に大願主として、五右衛門(現八木原家)、大熊伊兵衛ら6名が世話人となり、平戸弁天(いぼ弁天)を再建した。明治維新後の秩禄処分により知行所を失い、政府から一時金を貰って旧領の大谷口村(現千葉県松戸市)に土着した。 知行所
年表
その他2024年に松戸市博物館の企画展示室において、10代目大熊伊兵衛と土屋馬之丞を紹介する『古文書からさぐる大谷口の村』展を開催。 参考文献
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