土屋計雄土屋 計雄(つちや かずお、1921年〈大正10年〉9月7日 - 1989年〈平成元年〉6月21日)は、日本の実業家。第一ホテル社長や、同社会長、日本ホテル協会会長を務めた。 人物・経歴第一ホテル創業者土屋計左右の長男として生まれる[1]。1944年(昭和19年)、東京商科大学(現一橋大学)学部卒業[2]。日本銀行を経て[3]、第一ホテル取締役に就任[1]。1953年(昭和28年)に阪急電鉄が新阪急ホテルを創業すると、同社取締役に就任し、創業に参画した[1]。1966年(昭和41年)、日本交通公社取締役[4]。同年から父の後任として第一ホテル取締役社長を務めた[5]。1972年(昭和47年)からは父の後任として東宝監査役も務めた[6]。1977年(昭和52年)、日本ホテル協会会長[7]。1982年(昭和57年)、第一ホテル取締役会長[8]。1985年(昭和60年)、藍綬褒章を受章。1986年(昭和61年)、土屋計雄奨学基金を開設[9]。墓所は多磨霊園[10]。 親族父は第一ホテル創業者の土屋計左右。妻の喜久子は、明石照男と愛子(渋沢栄一の娘)の娘。長女・典子の夫は、河野雅治。また、次女・幸子の夫は、旧皇族・東久邇盛厚の次男・壬生基博[11]。 脚注
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