土井利義

 
土井利義
時代 江戸時代後期
生誕 安永6年6月27日1777年7月31日
死没 文政元年6月4日1818年7月6日
改名 銀之助(幼名)、利義
別名 笠州
戒名 対松院殿信誉涼風漣漪居士
墓所 東京都府中市紅葉丘の誓願寺→多磨霊園に改葬
福井県大野市錦町の善導寺
官位 従五位下右京亮中務少輔甲斐守造酒正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
越前大野藩
氏族 井伊氏土井氏
父母 井伊直幸、大魏院(池崎氏)
土井利貞
兄弟 井伊直尚井伊直寧俊姫井伊直富
井伊直中井伊直広真田幸専利義
井伊直明井伊直容井伊直致、扁勝、
暉玄、摂有、松平康哉正室、
立花鑑門正室、雍姫、磐、松平忠馮正室、謙ら
岡部長備娘栄香院
河合氏、中井氏、亀尾、道
利忠堀田利金江島利豊、トシ、
多羅尾純門室ら4男7女
利器
テンプレートを表示

土井 利義(どい としのり)は、越前国大野藩5代藩主。利房系土井家5代。

略歴

安永6年(1777年)6月27日、近江彦根藩主・井伊直幸の十男として彦根で生まれる。寛政3年(1791年)5月、大野藩第4代藩主・土井利貞の四女・松と婚約し、利貞の婿養子となる。寛政4年(1792年)12月、従五位下、右京亮に叙任する。寛政5年(1793年)に中務少輔に転任する。寛政9年(1797年)に松が早世すると、岡部長備の娘である栄香院と結婚した。

文化2年(1805年)11月8日、利貞の隠居で家督を継ぐ。文化5年(1808年)2月に甲斐守に転任する。文化6年(1809年)12月に造酒正に転任する。文化7年(1810年)3月10日、当時はまだ実子の利忠は生まれていなかったため、養子の利器に家督を譲って隠居した。文政元年(1818年)6月4日に江戸目白下の下屋敷で死去した。享年42。

文武両道の名君で、善政に尽くしたと言われている。

系譜

父母

正室

側室

  • 河合氏
  • 中井氏
  • 亀尾

婚約者

子女

養子