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この項目では、長野県塩尻市の峠について説明しています。岐阜県各務原市の峠については「うとう峠」をご覧ください。 |
善知鳥峠(うとうとうげ)は、長野県塩尻市にある峠。かつて三州街道が通り、現在は国道153号が通る。
地理
標高は889 m、霧訪山断層上に位置し、地形は北(塩尻)側が急で、南(辰野)側は緩い[1]。直下には中央本線の塩尻駅と小野駅を結ぶ「善知鳥トンネル」が通る。
中央分水嶺の峠の一つで、南側に降った雨は伊那谷・天竜川(太平洋)へ流れ、北側に降った雨は、松本盆地・犀川(信濃川(千曲川)へ合流、日本海)へ流れる[1]。峠の頂上付近には、分水嶺公園が設置されており善知鳥峠の由来を書いた石碑もある。
歴史
貞和4年(1349年)から翌年にかけて信濃守護の小笠原政長(北朝方)と諏訪直頼(南朝方)が付近で合戦を行ない、天文17年(1548年)に武田晴信と小笠原長時が戦った塩尻峠の戦いではこの一帯も戦場になったとされる。
国道153号の北側部分には登坂車線が設置されており、1971年の道路改良前までは急斜面に31のカーブを有する難所であった。長野自動車道が開通するまでは、名古屋方面と松本・長野を結ぶ交通の要衝であった。
1990年代までは頂上にウルトラマンのマスコットを備えたドライブインが設置されていたが、長野自動車道の開通などによる交通量の減少により閉鎖し、建物は2001年1月27日の大雪で倒壊した。
由来
地元に伝わる善知鳥(ウトウ)と猟師の民話[2][要ページ番号]による[3]とも、北側の斜面が急なことからかつて堀切場があり、そこから空洞(うとんぼ)が由来とも伝わる[1]。
猟師が北国の浜辺で珍しい鳥の雛を捕らえ、息子を伴い、都に売りに行った。
親鳥はわが子を取り戻そうと「ウトウ、ウトウ」と鳴き、猟師の後を追い続けた。
やがて猟師親子は険しい峠道に差し掛かり、さらに激しい吹雪に見舞われた。
吹雪のなか無理に峠を越えようとする猟師に、親鳥もなお追い続ける。地元の村人たちには吹雪の中ずっと「ウトウ、ウトウ」と鳴き続ける鳥の声が響いたという。
やがて猟師は激しい吹雪のなか力尽き、峠を越えること叶わず、その地に果てた。
吹雪の収まったあと村人たちが峠に出ると、泣きじゃくる息子とわが子をかばように覆って死んだ猟師の姿があった。
またすぐ脇には、同じように鳴き続ける雛鳥と子をかばうように覆って死んだ親鳥の姿もあった。
どちらも、命を賭してわが子を吹雪から守ったのであった。
村人たちはその鳥が善知鳥(ウトウ)であると知って猟師とともに手厚く弔い、その地を「善知鳥峠」と呼ぶようになったという。
また、能の大家世阿弥が作ったとされる謡曲「善知鳥」ではその後とされる話が描かれている。概要は以下のとおり。
立山(富山県立山町)を訪れた僧が、陸奥の外の浜(津軽半島東部地域)の出身だという猟師の霊と出会う。
この猟師、生前に善知鳥を捕まえた報いで地獄に堕ち、苦しんでいるのだという。
猟師は僧に、自分の形見だと言って簑笠と麻衣を渡し、妻子に届けてくれと頼んだ。
僧は猟師の妻子を訪ね、猟師の形見を渡した。
妻子が僧に頼んで形見を供養すると、猟師の霊が現れ、地獄で善知鳥に責め苦しめられる様子を見せた。
青森県青森市の中心部に善知鳥神社という神社があり(青森市=旧善知鳥村の発祥の地とされる)、これと関連する伝説が残る。
脚注
- ^ a b c “善知鳥峠”. 国土交通省中部地方整備局. 2024年11月10日閲覧。
- ^ はまみつを 編『信州の民話伝説集成 中信編』一草舎、2006年。ISBN 978-4-86366-529-3。
- ^ 「まんが日本昔ばなし」でもこの話を採り上げ、放送した(題名『うとう峠』:1981年12月26日に放送、2015年5月5日に時代劇専門チャンネルにて再放送)
関連項目