唐絵目利唐絵目利(からえめきき)とは、江戸時代中期に設けられた長崎奉行所の職種。清国から船載されてきた書画や器物の鑑定と価値の評価。さらに輸出入の交易品や鳥獣類などの写図の作成が主な職務であった。また長崎奉行所の御用絵師を兼務することが多かった。 概説鎖国体制下でありながらオランダや中国と交易を認められていた唯一の港町長崎の特殊な環境からこの唐絵目利職が誕生した。ほかの奉行所にはなく長崎奉行所のみにあった地役人の職種である。本役・手伝(佐)・見習の3つがあった。 唐絵目利の第一号は延宝元年(1673年)に任命された。ついで元禄元年(1688年)に二人目が任ぜられ、宝永2年(1705年)に手伝が加えられた[1][2]。それぞれの氏名などは不詳ながら、元禄のひとりは小原慶山である可能性が高い。 唐絵目利派の祖として有名な渡辺秀石は元禄10年(1697年)にこの職に就いている。秀石は渡来僧逸然の高弟であり、北宗画風の中国絵画が公式に認められたことがわかる。秀石についで広渡一湖・石崎元徳が任命され、荒木元慶も手伝に任ぜられ荒木元融のとき本役となった。以降の唐絵目利職は渡辺家・石崎家・広渡家・荒木家の四家の世襲となって幕末まで続いた[3]。 職務の目的から写実性が求められ、洋風画や黄檗派の頂相などの写実的な画法を吸収しながら発展した。唐絵目利派として一派をなし、多くの画家を輩出した。江戸後期には石崎融思や荒木如元などの洋風画家も現れ、また町絵師の川原慶賀とも密接な交流があった。 世襲系図
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