和田 三郎(わだ さぶろう、1872年7月27日(明治5年6月22日) - 1926年(大正15年)11月1日)は、明治・大正時代の自由民権活動家、アジア主義者。板垣退助の秘書。辛亥革命の支援者。
来歴
生い立ち
- 1902年(同35年)、板垣退助監修のもと、宇田友猪の後任として『自由党史』を執筆。(明治43年に完成し出版)
- 1911年(同44年)、板垣退助の雑誌『社会政策』や、『日本及日本人』、『太陽』に論文を寄稿した。
山嶽社
和田三郎の生家は、祖父・和田波治、父・和田千秋が自宅を提供して夜学会を開いた場所で、のちに高知市土佐山地区(旧 土佐山村)の西川集落における自由民権運動の拠点となった『山嶽社』が創始された場所として、1991年(平成3年)、文化財として修復管理されている[7]。
脚注
- ^ “『山嶽社』”. 高知県の観光情報 (2015年5月1日). 2017年7月29日閲覧。
- ^ “『土佐山の山嶽社』”. 高知市広報『あかるいまち』 (2006年5月1日). 2017年7月29日閲覧。
- ^ 『山嶽社』明治時代にこの地域の自由民権運動の拠点だった場所。板垣退助の秘書、和田三郎の生家でもある。和田三郎は板垣退助の秘書として活躍した人物。建物は1991年(平成3年)に復元された。今は、子供達の勉強会などに利用されている。(『高知県の観光情報』より)
- ^ 高知県出身の郷土史家・乾常美は親戚
- ^ 『20世紀日本人名辞典』、「和田三郎」の項
- ^ 後に日本政府の干渉により「中国同盟会」と改称
- ^ “『山獄社跡』”. 土佐の歴史散歩 (2008年9月30日). 2017年7月29日閲覧。
参考文献
- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1971年
- 『土佐山村史』
- 『日本教育史資料(巻九)』
- 『土佐の自由民権』公文豪著、高知新聞社、2013年
関連項目