吾妻子の滝
吾妻子の滝(あづまこのたき)は、広島県東広島市西条町御薗宇にある滝。「東子の滝」とも書く。 菖蒲の前伝説1180年(治承4年)5月26日、源頼政が宇治平等院釣殿で自刃する。頼政の側室[1]である菖蒲の前は、3歳になる息子の種若丸を連れてこの地に逃れてくる。数日間休んでいたが、種若丸は病気になり、死んでしまう。このとき、菖蒲の前が「吾妻子や 千尋の滝のあればこそ 広き野原の 末をみるらん」と詠んだと言われ、この滝を吾妻子の滝と呼ぶようになった[2]。滝の西側の「吾妻子観音堂」に、種若丸の墓と伝えられる宝篋印塔が納められている[3]。 交通アクセス周辺
参考文献 |