向寿向 寿(しょう じゅ、生没年不詳)は、中国戦国時代末期の秦の政治家。宣太后の甥[1]で公子稷(後の昭襄王)と共に育てられ[2]、その即位後は大臣として仕え甘茂の亡命後に丞相となった[3]。 経歴武王3年(紀元前308年)、武王の使者として甘茂と共に魏へ向かい、後に甘茂の意向で先に帰国しその伝言を武王に伝えた[1]。 昭襄王の時代になり、向寿は宣陽を平らげ楚韓と対峙した[2]。のちに甘茂は武遂を韓に返還する事を昭襄王に進言し、向寿と公孫奭はこれに反対したが聞き入れられなかった。向寿と公孫奭はこれを恨んで甘茂を讒言する様になり、恐れた甘茂は亡命してしまった[4]。 昭襄王13年(紀元前294年)に韓を攻め、これを伐って武始を取った[5]。 昭襄王14年(紀元前293年)、罷免された。 脚注
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