吉田大朋
吉田 大朋(よしだ だいほう、1934年 - 2017年)は、パリやニューヨークを拠点に活動した日本のファッション写真家。全盛期には日本では「ファッションを撮れるのは、吉田大朋ただ一人」ともいわれ、世界のモードを日本へ伝える重要な役割を担った先駆的な写真家である。 女性を美しく撮る事を一番の美学、哲学として考えていた写真家でもあった。 経歴
・1977年6月 作家池波正太郎氏を パリ、リヨン、マルセイユ、ニース、ル・アーヴル、ドーヴィル 自ら車を運転して案内及び同行。(後に池波正太郎氏が執筆した「あるシネマディクトへの旅」「新しいもの古いもの」にその旅の詳細やエピソードが綴られる)
没後
吉田大朋にまつわるエピソード1967年 ヨーロッパを放浪していた内田裕也氏がパリに来た時にその当時賑わっていたパリの老舗ジャズクラブ クラブサンジェルマンなどを案内。内田氏が非常に感激してくれたと。 (吉田大朋 後日談) 気難しい性格ながら面倒見の良い優しい一面が垣間見える話である。 伝説の雑誌「NOW」が誕生した裏話パリ在住中に訪れたル・マンのカフェで偶然出会ったVAN宣伝部の責任者であった石津祐介氏に、吉田自身が20代の頃から考えていた「日本に新しい男性の今までにない雑誌を作りたい」という夢を語り、日本に帰国後、VANと文化出版社との間で、話が纏まり、 1968年に創刊された伝説の雑誌「NOW」創刊 (この当時のエピソードは君塚太編著「原宿セントラルアパートを歩く」の中のオキシロー氏との対談に詳細が書かれている) 独創的な感覚を持ち、夢を実現させるためには邁進する吉田の性格を如実に表す話である。 映画にまつわる話吉田が高校生であった1950年代は映画の全盛期でもあり、多い時で年間300本以上を観る程映画好きであった。特に洋画に深い影響を受けていた。 学校に自ら映画研究会をひとりで立ち上げ映画館に学割で観られるように交渉したり、階段下に部室をおき、映画の宣伝のポスターを制作したり。部員は吉田ただ一人であり、誰にも迎合しない姿勢がこの頃に既に確立していたと思われる。後に、美しい写真を撮る技術は全て「映画」から学んだという独自の美学を形成した下地にもなったエピソードでもある 脚注外部リンク |