吉水園
吉水園(よしみずえん)は、広島県山県郡安芸太田町にある日本庭園である。基本的には一般公開されていない。 概要この地でたたら製鉄を営んでいた山師・加計隅屋の16代目当主佐々木八右衛門正任が、1781年(天明元年)に造った庭園である[1]。現在も加計隅屋が管理する民間庭園であり、代表は24代目当主の加計正弘[2][3]。加計正弘は加計慎太郎の長男で[4]、加計正文の孫にあたる。一般公開は春と秋の土日に限られている。 広島県指定名勝[1]。また園内に生息しているモリアオガエルは県指定の天然記念物となっている[1]。 公開→「公式ホームページ」を参照
一般公開は春と秋の土日に限られている。入場時間は9:00-17:00で、料金は200円。
園内→「公式ホームページ」を参照
回遊式庭園[2][6]。加計の中心から見て北側の丘陵に位置する[1]。 中央に「玉壺池」、北端の山沿いにあずまや「吉水亭」を配し、西側に稲荷社・琴平社に加え金屋子神を祀る金屋子社を勧請し、南側に松林庵薬師堂、東側が表門となる。
回遊式ではあるが吉水亭からの遠景を楽しめる造りとなっており、南側を流れる太田川を見下ろすことができる[2][6]。鈴木三重吉『山彦』の中で
俳人・山口誓子はここを訪れ句をいくつか残している。
歴史この地は古くからたたら製鉄の盛んで、加計隅屋の本拠地であった[3]。隅屋は江戸時代において中国地方最大手のたたら鉄山師となり、繁栄を極めた[2]。その隅屋の当主・佐々木八右衛門正任がこの辺りの地割を用い別荘(山荘)を建てることを思いつく[2]。 天明元年(1781年)9月、着手。まず9月17日から40日かけて池と築山から始める[2][7]。天明2年(1782年)吉水亭と金屋子社を建立、天明3年(1783年)松林庵薬師堂を移築している[2][7]。 天明8年(1788年)、広島藩庭の泉水屋敷(縮景園)を改修した京都庭師の清水七郎右衛門を招き入れ、3度に渡る大改修を行い、文化4年(1807年)現在の庭園の姿となった[2][7]。 ここを来園した著名人は少なくない。 文化4年(1807年)つまり吉水園が改修完成した年に浅野氏広島藩8代藩主浅野斉賢は従者400人とともに、文久元年(1861年)には11代藩主浅野長訓が従者を伴い来園している[2]。なお、清水七郎右衛門を広島藩に呼び寄せたのは斉賢の父にあたる7代藩主浅野重晟であり、斉賢も藩庭・縮景園の大改修を行っている[10]。近代以降では、河東碧梧桐、山口誓子、鷹羽狩行、坪田譲治、湯川秀樹夫妻、岸田劉生、東山魁夷夫妻、岸信介が来園している[2]。 昭和26年(1951年)県の名勝に指定[6]。 交通→「公式ホームページ」を参照
脚注
参考資料
外部リンク |