右翼トロツキスト陰謀事件右翼トロツキスト陰謀事件(うよくトロツキストいんぼうじけん)は、ニコライ・ブハーリンたちを被告とする、1938年3月2日に開かれた第三次モスクワ裁判の訴因とするために、ヨシフ・スターリンとNKVDがでっちあげた「反ソ陰謀事件」。 「陰謀」の内容被告人21名は以下の通り[1]。
事件の存在を「明らかにした」側は、以下のような内容を主張した。
その意味第一次・第二次モスクワ裁判で訴因として使われた陰謀論(それぞれ合同本部陰謀事件・併行本部陰謀事件という)をひとまとめにした当時の共産主義者達の陰謀論の集大成とでもいうべき内容。そのため前二回にも増して荒唐無稽な訴因となった。またこの陰謀論からいよいよソビエト連邦が公式にレフ・トロツキーを右翼と同視するに至った。 この罪状で訴えられた第三次モスクワ裁判の被告人(ブハーリン・ヤゴーダ・ルイコフら)の多くはみな自分と家族の命を守るために罪を「自白」してしまったが、ただ一人クレスチンスキーだけが「「右翼トロツキスト・ブロック」など存在も知らない」と反論を試みた。もっともクレスチンスキーも最後には「自白」させられ、第三次モスクワ裁判は全員が銃殺刑となった。 脚注 |