古賀武日児 |
---|
基本情報 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
出身地 |
福岡県 |
---|
生年月日 |
(1949-04-29) 1949年4月29日(75歳) |
---|
選手情報 |
---|
所属 |
福岡支部 |
---|
登録番号 |
2021 |
---|
登録期 |
20期 |
---|
特徴 |
自在 |
---|
選手実績 |
---|
選手引退日 |
2004年1月27日 |
---|
記念優勝 |
11 回 |
---|
SG優勝 |
0 回 |
---|
GI/PGI優勝 |
11 回 |
---|
通算優勝 |
85 回 |
---|
通算勝率 |
6.20 |
---|
通算勝利 |
2319勝 |
---|
主要獲得タイトル |
---|
- 芦屋開設20周年記念競走(1972年)
- 桐生周年記念競走(1974年,1984年)
- 下関開設21周年記念競走(1976年)
- 三国開設24周年記念競走(1977年)
- 浜名湖開設25周年記念競走(1978年)
- 福岡開設28周年記念競走(1981年)
- 尼崎開設29周年記念競走(1981年)
- 唐津開設28周年記念競走(1982年)
|
テンプレートを表示 |
古賀 武日児(こが たけひこ、1949年〈昭和24年〉4月29日 - )は、福岡県出身の元ボートレーサー。
来歴
高塚清一と同期。野中和夫・永松栄と共に「若手三羽ガラス」と呼ばれ、昭和50年代前半にGIを勝ちまくった[1]。ペラ巧者として筑豊在住の後輩も育て[1]、代表的な弟子に瓜生正義がいる[2]。1977年には第12回鳳凰賞競走(下関)で優出を果たし、スタートで飛び出した中道善博に小林嗣政が飛びつき、2マークで古賀と中道が大競りしたところを山本泰照が差し抜けた[3]。中道はフライングで失格となり、山本が1マークで大競り、2マークも大競りという展開を突いて優勝、古賀は3着に終わった[3]。
1998年6月8日の若松一般戦「第26回しぶき杯争奪戦」で1号艇1コースからイン逃げを決めて最後の優勝[4]、2003年9月18日の津一般戦「第23回ちどり杯争奪戦」が最後の優出となり、3号艇2コース進入で6着に終わった[5]。2004年1月27日の芦屋「一般競走」最終日3Rが最後の出走となり、4号艇3コースからまくりを決めて最後の勝利となる通算2319勝目[6] を挙げた。同年引退。
2007年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[1]。
獲得タイトル
- 1972年 - 芦屋開設20周年記念競走
- 1974年 - 桐生開設18周年記念競走
- 1976年 - 下関開設21周年記念競走
- 1977年 - 三国開設24周年記念競走
- 1978年 - 浜名湖開設25周年記念競走
- 1981年 - 福岡開設28周年記念競走、尼崎開設29周年記念競走
- 1982年 - 唐津開設28周年記念競走
- 1984年 - 桐生開設28周年記念競走
脚注
関連項目