古沢みづき
古沢 みづき(ふるさわ みづき 1965年4月3日[2] - )は、1980年代に活躍した日本の元タレント、歌手。所属していた事務所は、S.G.O.[3]を経てトミーズアーティストカンパニー[4]。本名、高橋 延江(たかはし のぶえ)[2]。 来歴・人物神奈川県立小田原城内高等学校卒業。在学中からすでにモデルとしてティーンエイジャー向けの雑誌の仕事や、ヤクルト・ミルミルのCM出演などの活動をしていた。高校卒業後のある日、美容室で順番待ちをしていた時に表を通りかかった、ヒラタオフィスのマネージャー・小林謙治に歌手としてスカウトされる[2]。1984年10月2日に伊勢正三が作詞・作曲を手掛けたシングル『涙のパーティー』でレコードデビュー。 1984年11月から『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』(ニッポン放送)に2代目アシスタントとしてレギュラー出演[5]。同番組には1988年3月26日の最終回まで出演。ある回の放送では求められたノリツッコミを出来なかったことでさんまから恫喝され、その後古沢の鼻をすする音だけをマイクが拾ったことがあった[6]。 1986年当時には『笑っていいとも!』月曜日にも一時レギュラー出演していた[7]。 『ブンブン大放送』終了後の1988年6月1日、自身初の写真集を出版。これは確認可能なほぼ最後の実績である。 特技・趣味はピアノ、ギター、絵画(イラスト)、バレーボール、卓球、陸上(ハードル)[8]、おもちゃ集め、作詩[3][1]。作詩は周りに勧められて始めたということで、古沢作の詩の中の一篇をデビューシングルの作詞・作曲を手掛けた伊勢正三が読んでこれにほれ込み、これに曲を付けたのがデビューシングルのB面曲『PINEAPPLE GIRL』である[3]。このようなことから、伊勢や南こうせつらから、妹のようにかわいがられたこともあった[9]。 また、尊敬する人物は釈迦で、会いたい人は仙人だとも話していたことがある[8]。 ディスコグラフィーシングル
その他
出演テレビドラマテレビ(バラエティ番組)
ラジオ
写真集
脚注
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