株式会社古梅園(こばいえん)は、日本の文具メーカー。創業1577年、日本最古[要出典]の製墨業の会社である。店舗など複数の建築が登録有形文化財に登録されている。
歴史
江戸時代に代々の当主は和泉掾を名乗った。
6代目当主の松井元泰(1689年 - 1743年)は享保13年(1728年)、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の旅の39年後に、奥羽名勝探訪の旅に出かけた。当時つぼのいしぶみと信じられていた多賀城碑を訪ねた元泰は、仙台で紙を商っていた頓宮仲左衛門、塩竈の菓子屋越後屋喜三郎と協力して、砂押川にかかる市川橋のたもと、塩竈街道から分かれる道に「つほのいしふみ 是より二丁四十間 すくみちあり」と記した石の道標を立てた。やや位置を変えて現存する[1]。
「
製墨の古梅園」
古梅園は天正5年(1577)、奈良の松井道珍が創業した製墨の老舗。代々、皇室や幕府の御用墨所を勤め、「紅花墨」「神仙墨」などの製墨で知られた。日本橋の古梅園(店主、芹川ふみ)は、奈良古梅園の東京支店であった。「日本橋通一丁目の古梅園は製墨の老舗にして東京の名物也」と記載あり。「古梅園」と記された製墨の絵と、「御用 御墨所 古梅園製墨 官工 南都松井和泉掾㊞」と記された商標が書き写されている。
— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「製墨の古梅園」より抜粋[2]
将軍 徳川吉宗が輸入し日本中を行脚させた象の亡骸の皮から膠を取り墨を作るよう命じられ、現在も当時の象の鼻の皮を所蔵している。
取扱い商品
脚注
- ^ 多賀城市史編纂委員会『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年、371-372頁。
- ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「製墨の古梅園」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
参考文献
関連項目
外部リンク
座標: 北緯34度40分51秒 東経135度49分39秒 / 北緯34.68074433度 東経135.82751651度 / 34.68074433; 135.82751651