古保利古墳群古保利古墳群(こほりこふんぐん)は、滋賀県長浜市高月町西野・熊野・片山および湖北町石川にある古墳群。国の史跡に指定されている。 概要滋賀県北部、琵琶湖北端の塩津湾に面する西野山丘陵の尾根上およそ南北3キロメートルにわたって一列に営造された、全国的にも有数の大規模古墳群である[1]。前方後円墳8基(帆立貝形古墳1基含む)・前方後方墳8基・円墳79基・方墳37基の計132基から構成される[1]。 古墳群はA-F支群の6支群に大きく分けられる[1]。各支群に1基以上含まれる前方後円墳・前方後方墳16基は盟主墳として首長墓系譜をなすと想定され、前方後円墳(墳丘長32-90メートル)は古墳時代前期を主体として中期初頭まで、前方後方墳(墳丘長16.5-60メートル)は古墳時代初頭から前期までの築造と推定される[1]。最古級となる前方後方墳の小松古墳では発掘調査が実施されており、銅鏡(方格規矩鏡・内行花文鏡)・銅鏃・鉄製品など多数の副葬品や土器が出土し、古墳時代初頭の3世紀中葉頃の築造と推定される。古墳群中最大規模となるのは西野山古墳で、墳丘長90メートル以上を測る。円墳・方墳は直径・一辺が10-20メートルを測るものが多く、最大では30メートルを測る[2]。小規模古墳は古墳時代後期-終末期のものが多く、一部では群集墳を形成する(八つ岩支群)[3][2]。 この古保利古墳群は、古墳時代初頭-終末期の営造で[1][4]、主には前期の3世紀中葉-4世紀代の営造と推定される[5]。古墳時代を通じて営造される点、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳という4つの基本墳形を全て含む点で特色を示す[1]。また琵琶湖を介した日本海ルートを直に望む地にあり、琵琶湖からしか望めない古墳も存在することから琵琶湖の水上交通への関与が想定され[1][4][5]、水上交通を担った集団の構成・変遷を考察するうえでも重要視される古墳群になる[2]。付近では物部古墳群などの築造も知られており、小地域ながら前方後円墳・前方後方墳が集中する地域として注目される[1]。 古墳域は2003年(平成15年)に国の史跡に指定されている[2]。 遺跡歴
主な古墳
文化財国の史跡
脚注参考文献(記事執筆に使用した文献)
関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
外部リンク |