友枝喜久夫
友枝 喜久夫 (ともえだ きくお。1908年9月25日 - 1996年1月3日) は、昭和期に活躍した喜多流の能役者。特に三番目物を中心としてすぐれた境地を見せ、「最後の名人」の名をほしいままにした。 来歴熊本県熊本市で、熊本藩細川家代々のお抱え能役者友枝家の長男として生まれる。名人として知られる友枝三郎の孫。済々黌卒業。 父の友枝為城及び、喜多流十四世宗家喜多六平太に師事。老境に入って目を病み半ば失明状態となったため、1990年の『景清』を最後に能を舞うことはなかったが、最晩年まで仕舞によって舞台に立ちつづけた。墓所は港区の持法寺。 人物関連文献
DVD演能作品
仕舞・一調
脚注
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