厲公(れいこう、? - 紀元前816年)は斉(姜斉)の第9代君主。武公の子。
生涯
武公26年(前825年)、武公が薨去したため、子の無忌が立って斉君となる[1](以降は「厲公」と表記する)。
厲公は暴虐であった[1]。厲公9年(前816年)、斉の国人たちは胡公[2]の子を立てようとし、厲公を攻め殺した[1]。しかしその際、胡公の子も戦死したので、斉の国人たちは厲公の子である赤(せき)を立てて斉君(文公)とした[1]。文公は、父の殺害に加わった者たちを処刑している[1]。
脚注
- ^ a b c d e 『史記』「斉太公世家」
- ^ 3代前の王で、厲公の祖父である献公によって討たれた。
史料
- ウィキソースに以下の原文があります。
- 史記(繁体字中国語)