原忠治原 忠治(はら ちゅうじ、嘉永2年(1849年)[1]- 没年不詳)は、日本の建築技師、大工。 経歴1880年(明治13年)に工部省営繕局有栖川宮邸建築掛で建築職工世話掛で出仕[1]。その後鉄道局建築掛、第三海軍区鎮守府建築委員雇などを経て、1887年(明治20年)海軍省技手となる[1]。 1891年(明治24年)、宮内省内匠寮技手となり、1895年(明治28年)完成の京都帝室博物館の工事を担当した[1]。 またその後、主要技術者として東宮御所御造営にも参加した[1]。 脚注参考文献
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