南部信民
南部 信民(なんぶ のぶたみ)は、江戸時代末期の大名。陸奥国七戸藩の第3代藩主。盛岡藩の家老・三戸式部の従兄弟にあたる。 生涯天保4年(1833年)4月4日、南部信也の4男として誕生した。父・信也は角屋敷三戸家の3代当主で、信民は南部利視の玄孫にあたる。 嘉永2年(1849年)に南部謹敦が盛岡藩を相続し、謹敦に代わって先代七戸藩主・南部信誉の養嗣子となる。文久2年(1862年)の信誉の死去により家督を相続する。幕末期の動乱の中では本家の盛岡藩と行動を共にし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加、新政府側に寝返った弘前藩と戦うなどして活躍した。戦後、新政府から罪に問われて領地を1000石削減された上、養嗣子・信方に家督を譲って強制隠居するように命じられた。しかし、跡を継いだ信方は若年だったため、信民が実際の藩政をなおも取り仕切り、牧畜や養蚕などの産業を奨励し、教育普及に尽くすなどしている。 明治33年(1900年)3月15日、68歳で死去した。 系譜父母 正室、継室 養子 参考文献 |