南東戦線 (ロシア内戦)
南東戦線(なんとうせんせん、ロシア語: Юго-Восточный фронт)は、ロシア内戦中の1919年から1920年にかけて赤軍に形成されていた編制。 沿革1919年9月30日の南部戦線V・I・ショーリン特別グループの大委員会指令により、サラトフを本部として編制され、翌1920年1月16日にカフカース戦線 (ru) へと改組された[1][2]。 南東戦線はノヴォチェルカッスク=ツァリーツィン線上のアントーン・デニーキン軍を撃破し、ドン軍管州を占領する任を負っていた。10月に戦線の部隊はウスチ・メドヴェディツカヤ、イロヴリンスカヤ、カムィシンのホピョール川沿岸で展開されたマーモントフ騎兵軍の襲撃を防御し、翌11月からは南部戦線とともに戦略的攻勢に参加。同月から翌12月にかけてのホピョール・ドン作戦でホピョール川を渡河し、翌1920年1月3日にツァリーツィンを占領してからはノヴォホピョールスク、ウリュピンスク、カラチも攻略した。ロストフ・ノヴォチェルカッスク作戦 (ru) においてドン軍を撃破し、1月7日にノヴォチェルカッスクを占領した[1][2]。 構成司令官[1]
革命軍事会議メンバー[1]
参謀長[1]
脚注
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