北庵法印北庵 法印(ほくあん ほういん、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての医者。島左近の岳父。 略歴中坊治部と同一人物とされ興福寺の寺医者をつとめた。多聞院英俊と親交があり、『多聞院日記』にも頻繁に登場する。 天正年間には英俊の病を治療したことが称され法印に昇進した [1]。 娘の茶々は島左近に嫁いだ。文禄・慶長の役の際、法印は左近が無事に帰国することを春日社に立願している [2]。 参考文献
脚注
外部リンク
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北庵法印北庵 法印(ほくあん ほういん、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての医者。島左近の岳父。 略歴中坊治部と同一人物とされ興福寺の寺医者をつとめた。多聞院英俊と親交があり、『多聞院日記』にも頻繁に登場する。 天正年間には英俊の病を治療したことが称され法印に昇進した [1]。 娘の茶々は島左近に嫁いだ。文禄・慶長の役の際、法印は左近が無事に帰国することを春日社に立願している [2]。 参考文献
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