北島熊男
北島 熊男(きたじま くまお、1896年(明治29年)3月15日[1] - 1965年(昭和40年)3月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。 経歴1896年(明治29年)に岡山県で生まれた[1]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第40期卒業[3]。1936年(昭和12年)12月に上海派遣軍参謀に就任し日中戦争に出動[1][2]。1938年(昭和13年)3月に陸軍大学校教官に転じ[2]、1939年(昭和14年)3月9日に陸軍航空兵大佐に進級し[2]、8月1日に興亜院調査官に就任した[2]。1941年(昭和16年)7月に飛行第12戦隊長(南方軍・第3飛行集団・第7飛行団)に就任し[1][2]、太平洋戦争に出征した[1]。 1942年(昭和17年)8月に第8飛行団長(第1航空軍)に就任し[1]、1943年(昭和18年)3月に陸軍少将に進級した[2]。1944年(昭和19年)7月に第11飛行師団長心得(航空総軍)に転じ[1][3]、京阪神地区の防空に任じた[1][3]。1945年(昭和20年)4月7日に陸軍中将進級と同時に第11飛行師団長に親補され終戦を迎えた[1][2][3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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