勢見山古墳
勢見山古墳(せいみやまこふん)は、徳島県徳島市二軒屋町・勢見町の勢見山にある古墳。形状は前方後円墳。別称は「ササキの抜け穴」。 概要勢見山古墳は眉山の一部をなす勢見山の山頂に位置し、通称は「ササキの抜け穴」と呼ばれている。4世紀後半の築造と推定され、前方後円墳とも言われが、円墳状の高まりが残るのみである[1]。 竪穴式石室が東側で開口しているため内部が観察できる。また1766年(明和3年)に筒形銅器と銅鏡が出土したと報告されており、筒形銅器の出土は、徳島県内では勢見山古墳が第1号とされる[2]。 天武天皇中宮摩耶姫命之墓かつてこの地には奥津城があったと伝えられており、奥津城には天武天皇の中宮であった「摩耶姫」が祀られていると云われている。現在は墳頂部に「天武天皇中宮摩耶姫命之墓」という石碑が建てられている。摩耶姫は懐妊中に壬申の乱で阿波国の「いわねびこ」という者に連れ出された際に悶死し、この地に奥津城を築いて葬ったという伝承が残る[3]。 ササキの抜け穴勢見山古墳の別称で、「佐々木の抜け穴」、「鷦鷯の抜け穴」などとも呼ばれる。佐々木高綱が有事に備えて掘った抜け穴で、穴は海まで通じているいう説がある。忌部神社の伝承では、仁徳天皇の殯宮(仮埋葬墓)と伝えられており、かつて仁徳天皇が民の竈の煙の勢いを観察するための物見櫓を設置していた場所であり、天皇が崩御した際にここが殯宮の地に選定されたと云われている。その数年後に本陵が完成したため改葬されたので、「鷦鷯の抜け穴」と呼ばれるようになったと云われているが定かではない。 関連項目脚注
|