劫賓那
劫賓那(こうひんな、カッピナ)は、釈迦の弟子の一人である。尊称して摩訶劫賓那と呼ばれることも多い。金毘羅(こんぴら、カンピラ)とも。 釈迦弟子中で知星宿第一の弟子といわれる。 名前出身コーサラ国出身。一説に両親が房宿(和名:そいぼし、さそり座の第16星を中心とする4星)に祈って生まれたので、こう命名されたといわれる。彼の出身にはいくつかの説がある。
過去世また「ダンマパダ(法句経)」によると、過去世にパドゥムッターラという仏の許で志願を起こし、織師の組合長として1000人の独覚(縁覚)を供養して上天し、迦葉仏の世にまた僧団を供養し、今生においてクックタバーニ市の王となる。その妻をアノジャー(Saagala人)という。また、ヴァーラ、プップハ、ヴァーッラヴァーナ、プップハヴァーナ、スパッタという5頭の駿馬をもち、4人の臣にこの5頭の中から、それぞれ1頭の馬を与え、各23由旬を出でて三宝の興起を聞かしむ。ある日、園苑に遊んでいると、遠く2万由旬も離れた舎衛城から500人の商人が来たりて三宝の興起を告げられるや、歓喜して皇后に語を送り、千人の臣下と共に仏所に赴いた。仏はこれを知って、チャンダバーガー河まで迎えに行き、カッピナは仏に見え比丘となった。祇園精舎に至り間もなく悟りを得て、その後、妻のアノジャーも出家した、という記述が見られる。 経歴仏が故郷カピラ城に帰った後、また去って遊行に出て南方の阿奴夷(アヌピヤー)村に滞在し給う時、阿那律(あなりつ)などの諸王子と優波離(うぱり)、難提迦(なんだいか)と共に仏の御許に至り仏弟子となった。釈迦仏は彼を励まさんとして、一化女の老の次第を示現し、それによって止観を修して応果を得た。また阿那律と跋提梨迦と、食物が何処から生じるかかつて話をした際に、蔵より生じると言ったぐらい裕福に育てられたという。常に独坐し禅定を好んでいたという。 |