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加藤直矢
「
加藤直也
」とは別人です。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは
推奨されていません
。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(
2023年5月
)
加藤 直矢
(かとう なおや、
1849年
2月17日
(
嘉永
2年
1月25日
) -
1892年
(明治25年)
2月13日
)は、
日本
の
治水家
。鶴岡家中新町(現・
鶴岡市
)出身。
経歴
1849年
(嘉永2年)1月25日 -
庄内藩
近習頭取・戸田摠蔵の次男として鶴岡家中新町(現・鶴岡市)に生れる。
加藤寿平の婿養子となる。
1868年
(明治元年) -
戊辰戦争
に出陣
1872年
(明治5年) - 松ケ岡
開墾
に参加
1885年
(明治18年) -
赤川
の改修工事で
工事
監督
となる。
1889年
(明治22年) - 同工事が完了する。
1891年
(明治24年)
6月22日
- 同工事の竣工式が行われ、功績により賞を受ける。
1892年
(明治25年)2月13日 -
自刃
する。享年44、鶴岡市の本住寺に
墓
がある。
没後
1893年
(明治26年)
2月
- 鶴岡市大宝寺松原の水神社の境内に彰徳碑が建立される。
親族
父 : 戸田摠蔵 - 庄内藩近習頭取
養父 : 加藤寿平 - 旧
熊本藩
主
加藤忠広
の遺臣。
兄 :
松本十郎
-
開拓
大判官
甥 : 松本小太郎
大甥 :
松本毅
-
海軍少将
参考資料
『庄内人名辞典』
大瀬欽哉
(代表編者)
致道博物館
内「庄内人名辞典刊行会」(発行)
1986年
(昭和61年)
関連項目
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧