劉鶚
劉 鶚(りゅう がく、1857年10月18日 - 1909年8月23日)は、清末の作家・考古学者。字は鉄雲。ペンネームは洪都百煉生。 略歴江蘇省江寧府六合県生まれで、淮安府山陽県(現在の淮安市淮安区)で育った[1]。博学多才で、「洋為中用」として西洋の学問も拒まない態度をとった。水利・数学・医学・金石学に通じ、黄河が決壊した際には治水に尽力した。また実業家でもあり、外国人との取引も多かった。 1900年、義和団の乱で八カ国連合軍が北京に入ったときに、ロシア軍と交渉して太倉(穀物倉)の米を買い取り、住民に売却することで飢餓から救った。しかし1908年、その行為が横領にあたるとして新疆省迪化に流刑となり、翌年、流刑先で脳溢血により死去した。 著作劉鶚の作品で著名なのは『老残遊記』と『鉄雲蔵亀』である。『老残遊記』は当時の深刻な社会の弊害を描いた小説である。その描写は風刺の域を超えているため譴責小説と呼ばれる。『鉄雲蔵亀』は収集した亀甲獣骨文字の図録であり、後の甲骨文字研究の基礎となった。 他に以下の著作がある。
脚注
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