劉 国梁(りゅう・こくりょう[2]、リュウ・グォリャン、英: Liu Guoliang, 中: 刘国梁, 1976年1月10日 - )は、中華人民共和国・河南省新郷市生まれの元卓球選手、指導者。現在は中国卓球協会(英語版、中国語版)会長を務めている。
経歴
河南省出身。選手時代は1999年の世界選手権で優勝、さらに1996年アトランタオリンピックでは男子シングルス、ダブルスで金メダルを獲得し、90年代の卓球界をリードした。
2002年に現役引退後、卓球中国代表(英語版)のコーチに就任し、翌年には総監督に昇進した。その後10年以上に渡り総監督を務めていたが、2017年6月に総監督の職から退き、中国卓球協会(英語版)の副会長についた[3]。翌年の2018年12月1日には、蔡振華(英語版)の後任として同協会の会長に選出された[4]。
プレースタイル
「サービスは第一の攻撃」という理念を持ち、特にサービス技術に優れていた。戦型は中国伝統の表ソフト速攻型に裏ソフトラバーでの裏面打法を混ぜたものであった。3球目のために戻りを早くするために、右足を上げて勢いをつけ、そのまま身体を90度回転させるという独特のフォームからサーブを放ち、裏面でのフォアサービスも使用していた。また状況によって短いトスのサーブと投げ上げるサーブを使い分ける。フォアハンドは、ドライブからスマッシュに結びつけるというスタイルで、表ソフトでありながらも回転量の多いドライブを打つ力も持っていた。バックハンドはショートをベースにしながら、状況に応じて裏面打法と表面でのスマッシュを使う。裏面打法のパイオニアでもあるが、馬琳、王皓のとは違い主にプッシュとループドライブに対するハーフボレーを多用した。なお、フォアハンドを反転せずに裏面でドライブしたことがある。また、時折ラケットを反転させ、フォアハンドで裏ソフトラバーからのドライブを使うこともある。
エピソード
- 現役時代、1度だけ坊主頭にしたことがある。2000年USオープンの男子シングルスで偉関晴光に敗れた直後、頭を丸めた。大会直後のシドニーオリンピックでは坊主姿でプレーし、単複でメダルを獲得した。[要出典]
- 2000年のシドニーオリンピック後に卓球のルール改正があった。ボールが38mmから40mmへの変更。劉国梁使用ラバー(スピンピップス)の改正。サーブ時にフリーハンドでラケットとボールのインパクトの瞬間を隠せなくなる。この3つは劉国梁殺しとよばれ、劉国梁を引退においやったとも言われている[誰によって?]。
- オリンピック男子初の金銀銅を取得したトリプルメダリストである。(女子を含めると喬紅に次いで2人目)
主な戦績
関連項目
脚注
外部リンク
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