割れ窓の寓話(われまどのぐうわ、仏: Sophisme de la vitre cassée)は、フレデリック・バスティアによる1850年のエッセイCe qu'on voit et ce qu'on ne voit pas(That Which Is Seen and That Which Is Not Seen:見える物と見えない物)の中で使用された寓話である。フレデリック・バスティアは、この寓話を用いて、破壊あるいは破壊の修繕に使用される出費は社会の純利益にはならないということの理由を説明している。「割れ窓の寓話」(別名としては「割れ窓の誤謬」や「ガラス屋の誤謬」がある)の目的は、機会費用が見えない形あるいは顧みられない形でどのように経済情勢に影響するかを示すことである。この寓話は「意図せざる結果の法則」(law of unintended consequences) の一例である。
寓話の内容
フレデリック・バスティアがCe qu'on voit et ce qu'on ne voit pas(見える物と見えない物)で用いた「割れ窓の寓話」は次の通りである。
モニターインダストリアル誌[2]は何と言うだろうか。パリを焼き払う事で、多くの家屋を再建する必要が生じて、それによって産業はどれぐらいの利益を得るかを、格別の精密さをもって計算したM. F. Chamansの弟子達は何と言うだろうか[1]。
バスティアは生産を論じているのではなく、富の貯蔵量を論じているのである。言い換えれば、バスティアは、単純に、窓を割る事の短期的な効果を見ているのではなく、長期的な効果を見ている。さらに言えば、バスティアは、窓を割る事が一つのグループにどう影響するかという事だけではなく、すべてのグループあるいは社会全体にどう影響するか、という事を考慮に入れている[3][4]。オーストリア学派の理論家達は、割れ窓の誤謬を引き合いに出し、大衆的思考によく見られる特徴であるとする。その一例としてCash for Clunkers[5] などが挙げられる。
20世紀のアメリカ人の経済学者ヘンリー・ハズリットは、著書「世界一シンプルな経済学」(Economics in One Lesson[6]) の中で、この話題に一章を割いている。
Stringham, Edward P.; Snow, Nicholas A. (2008). “The broken trailer fallacy: Seeing the unseen effects of government policies in post-Katrina New Orleans”. International Journal of Social Economics35 (7): 480–89. doi:10.1108/03068290810886885.
Mian, Atif R.; Sufi, Amir (2010). The Effects of Fiscal Stimulus: Evidence from the 2009 'Cash for Clunkers' Program. doi:10.2139/ssrn.1670759.
Caplan, Bryan; Stringham, Edward (2005). “Mises, bastiat, public opinion, and public choice”. Review of Political Economy17: 79–105. doi:10.1080/0953825042000313825.
Stanfield, James (2010). “The Broken University: What is Seen and What is Not Seen in the Uk Higher Education Sector”. Economic Affairs30 (3): 53–58. doi:10.1111/j.1468-0270.2010.02022.x.