利用者:Nickeldime/作業中7
en:Maserati 250F マセラティ・250F (Maserati 250F) は、イタリアの自動車メーカー、マセラティが開発したフォーミュラ1カー。F1世界選手権では1954年から1960年まで使用され、1957年にファン・マヌエル・ファンジオがドライバーズチャンピオンを獲得した。また、合計30台以上が製造・販売され、プライベーターたちにも愛用された。 概要1954年シーズンより非過給エンジン2.5 L(過給0.75 L)という新規定が導入されるのに合わせて、マセラティは新車250Fを開発した。設計者としてアルファロメオ・158”アルフェッタ”やフェラーリV型12気筒エンジンを手がけたジョアッキーノ・コロンボを招聘し、ルイジ・ベレンタリーニが作業を補佐した。ふたりがマセラティを去ると、チーフエンジニアに昇格したジュリオ・アルフィエーリが改良作業を受け持った。 250Fのベースとなったのは、前年にコロンボがモディファイしたフォーミュラ2カー「A6GCM/53」であった[注 1]。ワークス専用ではなく市販もされたので、同じ1954年にデビューしたメルセデス・ベンツ W196やランチア・D50のような革新的なメカニズムは備えていない。それでも、基本設計の良さに加えて、車体の軽量化やエンジン出力向上などの継続的なバージョンアップにより競争力を保ち続けた。1957年一杯でマセラティがワークス活動を停止してからも、プライベーターが愛用し、2.5 Lフォーミュラ時代の開幕(1954年アルゼンチンGP)から最後(1960年アメリカGP)まで7年間グランプリに出場した息の長いマシンとなった。 イギリスの名ドライバー、スターリング・モスは最初プライベーターとして250Fを購入し、活躍が認められマセラティ・ワークスのマシンをドライブした。モスは250Fについて「私が買えるなかで、もっともバランスのよいマシンでした」「ひとことで言うと、とても運転しやすくてパワフル」と語っている[1]。ミッドシップフォーミュラカーが普及する前の、フロントエンジン時代の最高傑作という評価もある[2][3]。 メカニズム車体
エンジン
バリエーション
おもな戦績派生モデル420M/58 エルドラド1958年6月、モンツァ・サーキットで行われた第2回「トロフェオ・ディ・ドゥエ・モンディ(Trofeo dei Due Mondi, Race of Two World, 通称モンツァ500マイル)」に出場するため、250Fのシャーシをベースに製作されたシングルシーターが420M/58、通称「マセラティ・エルドラド」である。 「エルドラド (Eldorado) 」はイタリアのアイスクリームメーカーの名前で、オーナーのジーノ・ザネッティが宣伝効果を期待して、マセラティに製作を依頼した。 現在はチーズ会社「オンブレ(Hombre)」のオーナー、ウンベルト・パニーニのプライベートコレクション[1]に収蔵されている。 テクメク・マセラティ脚注注釈出典
参考文献関連項目外部リンク
|