利用者:Nickeldime/作業中3ワールラリーカー (World Rally Car、通称:WRカー) は、1997年より世界ラリー選手権 (WRC) の最高峰クラスで使用されている競技専用車両。一般的な大量生産車を本格的なラリー競技車へ改造した「キットカー」の一種である。 概要WRカーはラリーカーに適したスポーティーモデルを生産していない自動車メーカーでも、大衆車を改造してWRCに参戦できるよう門戸を広げるというという名目で導入された。規定内容により1997年から2010年までの第一世代、2011年から2016年までの第二世代、2017年以降の第三世代に分類される。 WRカーはWRCのマニュファクチャラーズ・チャンピオンシップ(製造者選手権)に参戦する自動車メーカー(マニュファクチャラー)のみが製造することができる。マニュファクチャラーは「年間25,000台以上生産される車種のファミリーのうち、年間2,500台以上生産される派生モデル」をベース車両に選び、最低20台分の改造キットを製作すれば競技用の公認を取得できる。改造範囲には「自然吸気 (NA) エンジンからターボ付エンジンへの換装」、「二輪駆動 (2WD) から四輪駆動 (4WD) への変更(それに伴うサスペンション型式の変更)」「セミオートマチックトランスミッション(セミAT)の搭載」「ボディ(トレッド)の拡幅」「エアロパーツの追加」などが含まれる。 導入の経緯WRC最高峰クラスの車両規定は、過激な改造が横行したグループBの廃止後、1987年より年間5,000台以上(1993年より年間2,500台以上)生産された市販車をベースとする、改造許容範囲の狭いグループAへと移行した。グループB時代より4WD+ターボエンジンというパッケージが不可欠になっていたが、こうしたハイスペックカーを量産販売することは、開発コストや市場規模の面では自動車メーカー側へのハードルが高かった。バブル景気やモータースポーツブームの追い風を受けた日本のメーカーがラリー参戦を意識したグループAベース車(トヨタ・セリカGT-FOUR、スバル・インプレッサWRX、三菱・ランサーエボリューション)を投入し、1990年代に日本車黄金期を迎える一方、欧米のメーカーは撤退が相次ぎ、フォード・エスコートRSコスワースが孤軍奮闘するような状況だった。 国際自動車連盟 (FIA) は1993年より2WD・NAエンジンのフォーミュラ2 (F2) クラスを対象とした2リッターワールドカップ (W2L) を併催。1995年には車体の軽量化、エンジンの高回転化などの改造を認めるF2キットカー規定が導入された。高度にチューンされたF2キットカーは条件次第で上位クラスの4WDターボ車をしのぐ速さを見せた[1]。FIAは将来的に4WDターボ車を廃止し、F2キットカーをWRCの中心に据えようとする改革案を示したが、WRCのマニュファクチャラーやドライバーは反対意見を表明。また、F2キットカー構想を支持するフランスのメーカーも国内選手権を優先し、WRC参戦に消極的だった。FIAは方針を撤回し、グループA版のキットカーとなるワールドラリーカー(WRカー)の導入を決めた。 第一世代(1997年 - 2010年)WRカーのベース車両は「年間25,000台以上生産される全長4,000mm以上」の量産車シリーズ。このファミリーに属する、年間2500台以上生産される派生モデルをベースに、20台分の改造キットを製作すればWRカーとしてのホモロゲーションを取得できる。車台(ボディシェル)やエンジンブロックは市販車と共通でなければならないが、ボディの拡幅、NAエンジンへのターボ装着(エンジン自体の載せ換えも可)、駆動方式の4WD化、リアサスペンションの形式変更、エアロパーツの装着など様々な改造が認められる。4WD・ターボ車を販売していないヨーロッパのメーカーでも、FF・NAエンジンの大衆車をベースにしたキットカーを用意できるようにして、WRCへの参入を促進するという趣旨であった。 パーツの規格はトヨタ・セリカGT-FOUR (ST205) やランサー・エボリューションIIIといった当時のグループAマシンのサイズを参考に設定された。FIAとしては、WRカーに既存のグループAマシンと同等のパフォーマンスを与え、両者を混走させることを意図していた。しかし、改造範囲を最大限に利用すれば、市販車という枷のあるグループAを凌ぐ強力なマシンに仕上げることができるため、グループAで戦っていたメーカーも相次いでWRカーへとスイッチし、WRカーが新世代のスタンダードに定着することになった。ハイレベルな開発が進められた結果、WRカーは外観こそ市販車に似ているが、中身はほぼレーシングカーというマシンへと変貌していく。 成功と衰退1997年のWRカー規定導入直後はまだ新規参入メーカーはなく、グループAに参戦してきたメーカーの間では新規定への対応が分かれた。スバルはインプレッサ、フォードはエスコートRSという既存モデルにWRカーの改造キットを導入。トヨタはWRカーの特例条項を認められ、小柄なカローラにセリカのターボユニットを移植。一方、三菱は市販車とのつながりを重んじてグループA路線を堅持し、ランサーエボリューションの熟成を進めた。開発段階のWRカーとランサーエボリューションの戦闘力はまだ拮抗した状態で、マニュファクチャラーズタイトルはスバル(1997年)→三菱(1998年)→トヨタ(1999年)と混戦状態。ドライバーズタイトルは三菱のトミ・マキネンが1996年から1999年まで4連覇を果たした。 トヨタはF1転向のため1999年を最後に撤退するが、この頃よりフォード・フォーカスWRCを筆頭に第二世代のWRカーが登場する。FIAの思惑通りプジョー、シトロエン、シュコダ、セアト、ヒュンダイといったF2キットカー戦線にいたメーカーが続々参戦し、最大7メーカーのWRカーが出揃ういうにぎわいを見せる。1990年代の日本車全盛期に終止符が打たれ、2000年から2002年はプジョー、2003年以降はシトロエンというフレンチWRカーが選手権をリードした。 しかし、熾烈な開発競争が続けられた結果、WRカーの新車価格は1台1億円前後[2]にまで上昇。さらに、WRC年間イベント数の増加によるコスト負担[3]も重なり、次第に参戦メーカーが撤退し始める。2005年にはPSAグループが撤退を表明し(シトロエンは1年間の休止を経て復帰)、三菱とシュコダもワークス活動を休止した。 FIAは2006年よりマニュファクチャラーチーム制度(全戦参戦義務の免除)、電子制御装置の使用制限などのコスト削減策を導入したものの、2008年末には世界同時不況の影響でスズキとスバルが撤退し、WRCから日本のワークスチームが姿を消す。2009年にワークス参戦しているのはシトロエンとフォードの2社のみという状況になってしまった。 新WRカー次期WRカー規定の策定にあたり、FIAはスーパー2000 (S2000) 規定の2リッターNA・4WD車をベースにする方針を打ち出す。S2000はグループNよりも改造範囲は広いが、駆動系の共通化などによって製作コストを抑えることで、ヨーロッパの国内選手権やインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) においてプライベーター向けのシェアを伸ばし、WRCから撤退したプジョーやシュコダなど多種類のマシンが参入していた[4]。しかし、ラリーカーの最高峰であるWRカーを、従来のS2000といかに差別化するべきか、長く議論と迷走が続いた。ターボやパドルシフトなど3万ユーロ以下の脱着式キットを装着する”S2000+”案[5]が覆り、ターボ禁止案に変更された末[6]、最終的には2013年に予定していた1.6リッターターボを搭載するプランを前倒しして、2011年より導入することが決まった[7] エンジンは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) と共通規格で、自動車業界のトレンドであるダウンサイジングコンセプトに沿った1.6リッターガソリン直噴ターボ。市販車ベースのほか、モータースポーツ用に設計されたグローバルレースエンジン (GRE) も認められる。 2011年はシトロエンとフォードが新規定のWRカーをしたほか、1960年代にモンテカルロの覇者として知られたミニがテスト参戦を開始。しかし、2012年末にはミニ (BMW) とフォードがワークス参戦を終了(フォードチームを運営していたMスポーツはマニュファクチャラーとして活動継続)。2013年にはフォルクスワーゲンが新規参戦し、早速ダブルタイトルを獲得した。 なお、この規定が続くのは2016年までで、2017年より次期車両規定が導入される予定である[8]。 WRカーの特徴重量物をできるたけ車体中央の低い位置に集めることがされている。 抑制するため、車体中央部寄りへ ギアボックスを縦置きにして
主なレギュレーション1997年 - 2010年
2011年 -WRカー一覧
脚注
関連項目外部リンク
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