編集技能についてはマークアップのやり方もよくわからず、方針もよくわからず、恐ろしく時間をかけて編集していた昔と比べると(まだまだ基本的なレベルは低いですけど)だいぶ上がったかなとは思います。連続投稿のクセはいまだにありますが昔に比べればマシにはなりましたし、細かいだけの編集が多かったのに最近はそうでもないですしね。ただ改めて振り返ってみるとWikipedia:雑草とりに書かれてるような行為は実はあんまりしてこなかったことに気づきました。
自分が作成した新規投稿記事についてはそんなに増えないだろうと思っていたのに3年近くも編集してるからでしょうが、思っていたよりは増えました。ただ、「なんでこの項目が無いのかな? しょうがない自分でやるか…」と思って作った新規投稿記事は誰かがもっと加筆してくれるだろうという甘い考えだったためか、マイナーな項目であったためか、いままで立項されなかった項目であったためか、他のユーザーの方の加筆はあまり無かったですね。しょうがなく自分でちょこちょこと編集し続けていますが、結果として納得のいかない完成度の低い記事が並んでしまいました。ある程度の見積もりを持って記事を作るべきだったと遺憾に思っています。
ウィキペディア日本語版そのものについて言うと、編集を重ねれば重ねるほど、ウィキペディアの限界と言うか、負の側面もそれなりにあるんだな、と感じることが増えました。基本的には素晴らしいプロジェクトだとの思いは今も持っていますが、無責任体制というか、質の担保の維持が難しいというか、全面的な信頼は出来ないというか、ルールが複雑というか、議論がまどろっこしいというか、争いが絶えないというか。悪口連発ですいません。ただ基本的にはウィキペディアはすばらしいプロジェクトだとの思いは今も持っていますけどね。(大事なことなので2度言いましたよ)
ウィキペディア日本語版の現状については自分がよく見るページに限ればだいぶ赤リンクが少なくなってきたと感じるなど量的な面に関してはそれなりに充実してきていると感じるようになりました。と同時にウィキペディアは終わりが無いプロジェクトであるという面にも改めて気づかされました。やってもやってもキリがない面があるんだな、と。また、閲覧だけしていたときはほとんど見なかった英語版は質、量ともにすばらしくて日本語版とは差があるんだな、ということにも気づきました。あと、日本語版は編集者に偏りがあるということも感じています。
編集者としてはフリー百科事典の執筆者にはあまり向いてないかな?とも思いはじめています。あえて「急がず」、「無理せず」、「執着せず」に編集するようにしてきましたが、基本方針とガイドラインの遵守は大前提ではあるけれども、ガンガン議論して、ガンガン編集して、というタイプの方のほうがフリー百科事典の執筆者に向いてるのかな、と。私も編集し始めてから一年経った時、議論に参加するようにしようと思ってそれなりにはしてきましたが、振り返ってみるとガンガンというほどのことはしませんでしたしね。あと、質の担保の維持が難しいと考えている割には「質、真理の追求」を自らはあまりしてこなかった、しようとしてこなかったという面があったな、と。出典をつけるようにはしてましたけど。
そもそもなぜウィキペディアの編集に参加しようかと思ったかと言うと、マークアップの勉強も兼ねて、読みにくいと思った文章を直したい、赤リンクとなっている記事を作りたい、色々知識を与えてくれたウィキペディア、お世話になったウィキペディアに恩返しが出来たらいいなということでした。未整備のルール制定の議論にもう少し貢献したかったという思いはあるものの、それなりに恩返しは出来たかなとは思います。完璧に恩返しが出来たとは思いませんが、なんと言ってもウィキペディアでの編集はキリがないですからね。
キリの無いウィキペディアの編集から足を洗って違う何かを見つけたい。違うステージに進みたいと思ったり思わなかったり、やっぱりウィキペディアの編集を続けようかなと思ったり思わなかったり。そんな今日この頃です。
— --Blue-comet 2010年10月5日 (火) 12:14 (UTC)