利用者‐会話:二林史夫
コピー&ペーストによる新規記事作成の中止のお願いこんにちは、二林史夫さん。記事名を変更する際に、新しい記事を作ってそのまま内容をコピー・アンド・ペーストされているようですが、履歴保存の都合上、ページ名の改名を使うことが強く推奨されています。 また、そのような移動はWikipedia:ウィキペディア内でのコピーをお読み頂きますとお解りの通り、GFDLおよびCC-BY-SA違反となり削除対象となりますので、Wikipedia:ページ名の変更をお読みのうえ、移動を行っていただくようお願いします。 台湾地方自治聯盟を台湾地方自治連盟にコピー&ペーストで作成することはWikipedia:即時削除の方針#全般の全般6により禁止されており、即時削除依頼を提出させていただきます。 記事名の改名が必要と思われたのなら改名提案の手続きを行ってから合意を得てから行って下さい。 --KASEI(会話) 2014年4月5日 (土) 11:08 (UTC) 台湾からの引き揚げについてこんにちは、二林史夫さん。台湾からの引き揚げにて、「本記事では~」という、スタイルマニュアルから逸脱した始まり方をしていたので訂正させて頂きました。これはウィキペディア日本語版が、アメリカ・フロリダ州にあるウィキメディア財団の有するウィキペディア日本語版サーバーから提供されているサイトであり、決して日本人のためだけにあるサイトではなく、全世界の日本語話者に向けられたサイトであるという大前提から来る記事の書き方の決まり事ですので、その点をお忘れなきよう今後の記事の執筆の際にもほんの少しだけ注意して頂けたらと思います。今後も良質の記事執筆を頑張って下さいませ。--106.167.23.176 2014年6月25日 (水) 03:04 (UTC) 問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為についてこんにちは、二林史夫さん。ウィキペディアにご参加くださり、どうもありがとうございます。 満蒙開拓団から{{出典の明記}}および{{参照方法}}を除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることに記載がございます通り、問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為は推奨されておりません。 「満蒙開拓団の記事について出典はすべて記載しております。指摘は全くあたっていません。」とのことでございますが、二林史夫さんが編集された当該記事の最後の版である2014年9月7日 (日) 00:49 (UTC)の版におきましても、「概説」節の文章のいくつかに出典が記載されていないものがあります。「参考文献」の節に文献を列挙しただけでは、記事のどの部分がどの出典を参照しているか分からないため、検証したり不要な出典を除いたりするのが困難になります。それらの文書の何ページの記載が、ウィキペディア記事の本文中のどの箇所の出典に該当するのか、個別参照法等を用いて明確に記載する必要があります。 例えば、
のような記載は、
のように改めることができます。脚注の付け方はこの限りでなく、様々な方法があります。Help:脚注をご参照の上、適切な記載をお願い申し上げます。 また、数字の記載方法につきまして、原則、4桁ごとに「万」「億」「兆」などを入れ、カンマ区切りとは併用しないことが規定されています。Wikipedia:表記ガイド#数字もご参照ください。 以上につきまして、なにとぞご理解の上で、編集活動を行われますようお願い申し上げます。 --180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 01:37 (UTC) (2014年9月8日 (月) 01:37 (UTC)の投稿より不必要な文字が挿入されていた箇所を撤去)--180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 01:39 (UTC) ご連絡くださりありがとうございます。確認致しましたが、依然として一部の文章には出典が付与されておりません。例えば「概説」節における「満蒙開拓団の事業は、 - (中略) - として発足した。」「1936年(昭和11年)までの - (中略) - を送り出した。」などの文章には一切出典がありません。お手数ではございますが、ご対応のほどよろしくお願い申し上げます。また、一部重複する脚注がございましたので、統合編集を行いました。 なお、本件に関するご返信は、議論の履歴継承の観点から、利用者‐会話:180.61.45.142ではなく、原則としてご自身のノートページ(このページ=利用者‐会話:二林史夫)へお願い申し上げます。--180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 07:33 (UTC) ご指摘の点についての改善についてご指摘ならびに注釈についての重複記載の統合ありがとうございました。ご指摘の点ですが、「満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊する内地農村を・・・」から「1941年(昭和16年)までの5年間は「本格的移民期」にあたり年平均送出数は、3万5000人にのぼる。」までの文章は、実は同一ソースなのでこのように改善の仕方にしました。ご意見等よろしくお願いいたします。--二林史夫(会話) 2014年9月8日 (月) 15:43 (UTC)
ノート:台湾光復について二林史夫さん、こんにちは。 掲題の件ですが、Wikipediaではすべての版は履歴にて完全に保管されます(この場合、ここに残っています)。ですから、過去の版をノートページ等に残す必要はありません。また、ノートページは記事の議論に用いる場所でして、記事のコピーを置く場所ではありません。さらに言えば、記事をまるまるどこかにコピペする場合には「履歴の継承」が必要ですから、今回のノートページヘのコピペはWikipedia:ウィキペディア内でのコピーのルールに反することになり、著作権違反で削除となります(今回は私にて、全般6での削除要請を貼付しました)。Wikipediaには様々なルールがありますので、今回の場合はどう問題があったのか、Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーをよく読んでいただければと思います。不明点があれば、お気軽にわたしのノートで質問してください。 --Tonbi_ko(会話) 2014年9月28日 (日) 11:09 (UTC) わかりやすいようにリンク追加しました。--Tonbi_ko(会話) 2014年9月28日 (日) 11:18 (UTC) 民工の加筆について二林史夫さん、こんにちは。中国経済関連で記事を執筆している(いた?)Wushi(会話)と申します。このたび、民工の加筆ありがとうございます。出典で気になったところがありましたので、確認にあがりました。 脚注3 鈴木(2010年)209ページですが、参考文献に記載がないようです。ご確認の上、加筆・修正お願いいたします。--Wushi(会話) 2015年7月18日 (土) 20:13 (UTC) 感謝いただきまして、ありがとうございます。
「無条件降伏」の表現についてはじめまして。「湾生」と「台湾からの引き揚げ」のページにおいて感謝を示していただきありがとうございました。 さて、標題の件についてですが、私が「本省人」と「本島人」のページにおいて「日本の無条件降伏」という表現を「日本の降伏」という表現に変更すると、後日、あなたがその編集を取り消されました。 日本国軍隊に関してはポツダム宣言において「無条件降伏」が明記されているので問題ないと思いますが、日本政府に関しては条件付降伏説もありますので、論争を回避するためにも「降伏」とさせていただいた次第です。 日本の降伏が「条件付降伏」か「無条件降伏」かという議論をここで行うつもりはありませんが、この論争は有識者の間でも長年続けられており結論も出ておりません。そのため、不要な編集合戦を回避するためにも「降伏」といった無難な表現にしておくことが妥当かと思います。どうしても「無条件降伏」と表記したいのであれば「日本軍の無条件降伏」「日本国軍隊の無条件降伏」とした方が論争を避ける意味でもよろしいかと思います。 以上、よろしくお願いします。--A22112212(会話) 2015年11月30日 (月) 00:33 (UTC)
「本省人」、「本島人」および「台湾人」の3記事について、いずれも当初は若林正丈著『台湾 変容し躊躇するアイデンティティー』(2001年)ちくま新書の61ページの「日本の無条件降伏により」という原文をもとに記述されていた「無条件降伏」の文言が「日本の降伏」という文言に変更されたことについて、「中立的観点から」という理由による当該変更を了承します。理由は、以下のとおりです。ポツダム宣言の受諾に伴う日本の降伏について記述する書物において、「無条件降伏」と言い切って説明するのは前傾遠山他著『昭和史(新版)』が私が確認できた中では唯一の例であり、他の書物ではポツダム宣言の受諾について「無条件降伏」という文言を使って説明するものはなかったことです。例えば、三國一朗著『戦中用語集』(1985年)岩波新書202-203ページ、吉田裕著『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』(2007年)、加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(2009年)では、いずれも「無条件降伏」という文言の使用はありませんでした。ポツダム宣言の受諾という歴史的事実を説明するに「無条件降伏」の文言を使用しないというのが現代の主流かとも考えられます。よって、「日本の降伏」という文言を使った変更を合理的なものと現時点では考えます。--二林史夫(会話) 2015年12月31日 (木) 10:19 (UTC) 「無条件降伏」か「降伏」かの議論について かつて議論しておりました「本省人」や「台湾人」などの記事中の「無条件降伏」から「日本の降伏」への文言に変更問題ですが、貴兄による当該変更を了承したいと思います。理由は、以下のとおりです。ポツダム宣言の受諾に伴う日本の降伏について記述する書物において、「無条件降伏」と言い切って説明するのは前傾遠山他著『昭和史(新版)』が私が確認できた中では唯一の例であり、他の書物ではポツダム宣言の受諾について「無条件降伏」という文言を使って説明するものはなかったことです。例えば、三國一朗著『戦中用語集』(1985年)岩波新書202-203ページ、吉田裕著『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』(2007年)、加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(2009年)では、いずれも「無条件降伏」という文言の使用はありませんでした。ポツダム宣言の受諾という歴史的事実を説明するに「無条件降伏」の文言を使用しないというのが現代の主流かとも考えられます。よって、「日本の降伏」という文言を使った変更を合理的なものと考え、了承します。長い間放置してしまい申し訳ありませんでした。--二林史夫(会話) 2015年12月31日 (木) 10:25 (UTC)(転載--A22112212(会話) 2016年1月4日 (月) 10:34 (UTC))
「羽衣文具」削除依頼のお知らせ二林史夫さん、はじめまして、クブクリンと申します。 突然ですが、昨年11月8日に二林さんが加筆された羽衣文具の項目について、当方で削除依頼を提出させていただきました。新聞から短歌の引用をなさっていますが、その作者である一般読者のかたの個人名はWikipedia掲載には適切ではない(削除対象)と考えております。 この2点を理由に削除審議に諮りました。当該部分も取り除いてありますので二林さんからは何もしていただく必要はありませんが、念のためご報告まで。--クブクリン(会話) 2016年2月22日 (月) 13:02 (UTC) 一般人の名前を記載することはお止めください。Wikipedia:削除依頼/羽衣文具が提出されています。ウィキペディアでは一般の方の名前を書くことは、第一にプライバシの観点から不適切であると見なされます。さらに短歌一つも著作物であり、それを転載することは著作権侵害と見なされます。そもそも全く脈絡もなく無意味で不要な加筆です。--KAMUI(会話) 2016年2月22日 (月) 13:08 (UTC) ニュースソースについて習近平の件、修正後の内容確認致しました。承知しました。 また、習近平の二林さんの加筆内容や他の記事を見ていて気になったので一つお願いです。新聞を用いたソースにおいて「○○新聞、いつ付、何面」といった出典の記載をされていると思いますが、新聞の場合同じ記事でも版によって掲載ページや掲載される号が違ったりしますので、出来るだけ電子版などへの記事リンクも付けて頂けるとWikipedia:検証可能性#アクセシビリティが向上し、より元のソースへのアクセスがしやすくなり、正確性もあがると思います。(後々縮刷版で追いかけようとした際、二林さんが確認された版と掲載ページ等が異なる可能性も出てきます) つきましてはご協力のほどよろしくお願いします。--準特橋本(Talk/Contribs) 2016年5月4日 (水) 02:57 (UTC) 中立的な観点に反する記述となりますのでご確認ください日本に関する無条件降伏に関しては、深刻な論争がある主張ですので、事実として記さないでください。中立的な観点に反する記述とならないように、ご協力をお願いします。--Husa(会話) 2016年5月28日 (土) 01:22 (UTC) 著作権侵害のおそれ二林史夫さんによる執筆に関してですが、著作物の写しをされています[1][2]。原文通りに執筆されることは、著作権侵害となる恐れがあります。二林史夫さんによる執筆は、百科事典的というよりは、作家特有の創作的なフレーズが散見される印象をもっております。原文通りに執筆されてされている箇所はほかにありますでしょうか。是非、著作権侵害におそれのある執筆箇所について、調査をお願いします。著作権の概念については、Wikipedia:著作権、Wikipedia:原典のコピーはしない、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の熟読をお願いします。また、問題が発覚した記事については、Wikipedia:削除依頼/日本の降伏を提出しておりますことをお知らせします。--Husa(会話) 2016年6月21日 (火) 14:31 (UTC) 著作権侵害のおそれによる削除依頼追加二林史夫さんが利用者‐会話:Husa(2016年6月21日 (火) 14:50)で、引用元を記さずに、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針から大量のコピーを行われましたので、ノートページの削除依頼に提出せざるを得ない状況となっております。まず、Wikipedia:原典のコピーはしないの熟読をお願いします。二林史夫さんが執筆された内容において、引用の形式をとらない原典のコピーがなされている恐れがあります。どの箇所が原典のコピーであるかを、ご申告頂けますと大変助かります。ご協力をお願いします。--Husa(会話) 2016年6月21日 (火) 15:45 (UTC) 特定の観点を推進する記載は控えて下さい(警告)Wikipedia:中立的な観点をご参照下さい。特にWP:YESPOV中にある「意見を事実として記さない。」、「深刻な論争がある主張を事実として記さない。」を良くお読みになってください。--Criteriaire(会話) 2016年6月26日 (日) 11:49 (UTC) 上記警告について8月15日を中心とする日本のポツダム宣言受諾については、日本側がいかなる条件もあるいは留保事項も付けませんでした。これは客観的な事実です。これに反する事実すなわち、日本が1つでも条件や留保事項を付したという客観的な事実はありません。このことを争う歴史学者は、1人たりともいません。ただ特定の政治的意図をもって「日本は条件付き降伏をした」という主張をする言論人や国会の場で発言をした極めて少数の憲法学者などがいることは事実です。しかし、それは学問的背景のない極めて少数説である、「深刻な論争がある」とは言えないと思います。また「無条件降伏」という客観的事実を、「降伏」という文言に書き換えてしまうことは、(無条件降伏でない降伏とはすなわち条件付き降伏ですから)逆に「意見を事実として期さない」という原則に反してしまうと考えます。取り急ぎの回答で失礼しました。詳しい議論は、削除されてしまった部分が回復してからにいたしましょう。--二林史夫(会話) 2016年6月26日 (日) 13:05 (UTC) たとえ話は無用の議論の拡大を招きかねないので控えてきましたが、今回の「無条件降伏」論争をしながら常に思っていたことがあります。 たとえば、「恐竜が絶滅した」という客観的事実をwikipediaに書いた場合、「ネス湖にネッシーが存在する」という考えを発表した「学者」が1人でもいたとしたら、「中立的観点」からはすべて「恐竜が絶滅した」という文章は書けなくなるのか?あるいは天動説がかつて極めて有力だったということからすれば、「地動説」も「中立的観点」からは書けなくなるのか?はたまた、「錬金術」がかつて多くの人が信じたことからすれば(あのケインズも信じたとかつて読んだことがあります。)中立的観点から、これにも言及しなければならないのか?「日本が条件付き降伏をした」との説は、「ネッシー実在説」、「天動説」、「錬金術」と同様か極めて近い議論に聞こえるのですが、Husaさんやその賛同者の方はどうお考えですか?「中立的観点」を金科玉条のごとく振り回すだけでは、解決しないと思います。--二林史夫(会話) 2016年6月26日 (日) 14:42 (UTC)
コメント依頼提出のお知らせWikipedia:コメント依頼/二林史夫を提出いたしました。--Husa(会話) 2016年6月26日 (日) 15:04 (UTC) コメント依頼での編集について
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