具志川御殿
具志川御殿(ぐしかわうどぅん)は、尚真王の三男・尚韶威、今帰仁王子朝典(生没年不詳)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家。代々今帰仁間切(現・今帰仁村)の按司地頭を務めてきたが、王国末期に具志川間切(現・うるま市具志川地区)に転任したことから具志川御殿と呼ばれる。 一世・朝典は北山監守として今帰仁城に移り住み、以後歴代当主は北山監守を務めた。七世の時に北山監守が廃止になったので、その後首里に移住した。十世・朝義は山北今帰仁城監守来歴碑記を建てるなど、祖先の業績を顕彰し、また摂政に任じられた。十二世・朝英(向鴻基)は、向邦輝の偽名を使って英船艦長バジル・ホールと会見した。十四世・朝勅の時、具志川(今帰仁)王子朝敷(尚育王三男)が今帰仁間切の按司地頭となったので、具志川間切に転任し以後具志川を家名とした。今帰仁村運天にある大北墓(七世までの歴代墓)は今帰仁村の文化財(建造物)に指定されている。 系譜
参考文献
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