公津原古墳群

公津原古墳群
所在地 千葉県成田市加良部ほか
位置 北緯35度46分48.8秒 東経140度17分25.9秒 / 北緯35.780222度 東経140.290528度 / 35.780222; 140.290528座標: 北緯35度46分48.8秒 東経140度17分25.9秒 / 北緯35.780222度 東経140.290528度 / 35.780222; 140.290528
形状 前方後円墳、円墳、方墳
規模 120基前後
築造時期 4世紀前半から7世紀後半
史跡 1990年(平成2年)3月16日県指定[1]
地図
公津原 古墳群の位置(千葉県内)
公津原 古墳群
公津原
古墳群
千葉県内の位置
地図
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公津原古墳群(こうづはらこふんぐん[1]/こうづがはらこふんぐん[2])は、千葉県成田市加良部ほかに所在する古墳群。千葉県指定史跡[1]

概要

江弁須地区から八代地区にかけての印旛沼東岸台地上に存在する八代台、天王・船塚、瓢塚の3古墳群・120基前後の大小古墳からなる古墳群の総称である[3]

この地域は古くから「塚場」という地名と共に「公津原の百塚」とも呼ばれ、江戸時代からその存在が知られていたが、本格的な研究は戦後になってからのことである。その後、1969年(昭和44年)10月から1971年(昭和46年)8月にかけて、成田ニュータウンの建設に伴って64基の古墳が発掘調査されて以来、多くの古墳が発掘調査され、公津原古墳群の内容が明らかになった。

南から、瓢塚古墳群(前方後円墳1基、方墳19基、円墳30基)、天王・船塚古墳群(前方後円墳3基、方墳9基、長方墳1基、円墳33基)、八代台古墳群(前方後円墳3基、方墳6基、円墳25基)の3支群がある。しかしニュータウン開発により消滅した古墳も多く、史跡指定を受けたのは天王・船塚支群の船塚古墳など、38基である。

造営開始年代は早く、4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間古墳は造られている。とくに天王・船塚古墳群には、6世紀代と推定される大型古墳が所在する。しかし、7世紀に入ると大型古墳が造られなくなり、龍角寺岩屋古墳やみそ岩屋古墳が造られる龍角寺古墳群と対照的となる[1]

脚注

  1. ^ a b c d 千葉県教育庁教育振興部文化財課指定文化財班. “公津原古墳群”. 千葉県. 2020年5月31日閲覧。
  2. ^ 成田市役所企画政策部広報課 (2016年6月15日). “「公津原古墳群から望む印旛沼」『広報なりたNo.1317』2016年(平成28年)6月15日号”. 成田市. 2020年7月20日閲覧。
  3. ^ 大塚, 小林 & 熊野 1989, p. 224.

参考図書

関連項目