八田康介
八田 康介(やつだ こうすけ、1982年3月17日 - )は、福岡県大川市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック[1])。 来歴小学校4年生の時にサッカーを始める[4]。中学生時は隣県のJFLクラブ・鳥栖フューチャーズの下部組織でプレーした。1997年にスポーツ特待生として柳川高等学校に進学[5]。目立った実績は挙げられなかったが[5]、1999年には国体に出場し[6]、Jリーグ・アビスパ福岡の強化指定選手として登録されたことで注目を集めた[7]。 2000年、サンフレッチェ広島へ入団[8]。プロ同期入団は、森崎和幸・浩司兄弟、駒野友一、松下裕樹、山形恭平、中山元気。高いポテンシャルを見せたが[1]、公式戦ではそれを発揮できなかった。2005年にサガン鳥栖にレンタル移籍[9]、主力として活躍した。2006年から広島へ復帰するも[10]、相次ぐ監督交代も影響し、なかなかアピールできなかった。 2007年にFC東京へ完全移籍[11][6]。シーズン序盤は負傷離脱選手が多くセンターバックのレギュラーが固まらずにいたが、八田も半月板損傷[12] などにより出遅れたため[13]、ベンチ入り出来たのはシーズン終盤になってからだった[14]。DF茂庭照幸の出場停止を受けて第33節大宮戦で先発起用されたが[15]、出場はこの1試合にとどまった。 空中戦の強さを評価され[13]、2008年に横浜FCへ移籍[16][17]。主力として活躍したが2009年限りで契約満了により退団[18]。 2010年に徳島ヴォルティスへ[19]、2011年にはSC相模原へ移籍[20]。いずれも1年で退団した[2]。 2012年はアビスパ福岡の練習生として練習に参加。DF山口和樹が怪我で長期離脱した事もあり、選手登録期限[21] 締切直前の3月28日に加入が発表された[22][23]。福岡ではリーグ戦無出場に終わり、同シーズン限りで現役を引退[3]。2013年より同クラブ下部組織の監督に務める[24]。2014年、B級指導者ライセンス取得[25]。2014年より中国杭州緑城クラブU17-18、2016年より、中国杭州緑城クラブU19-20で活動する。 2018年よりギラヴァンツ北九州トップチームコーチに就任[26]。同年11月、ギラヴァンツ北九州との契約満了により退任することが発表された[27]。 2019年1月、なでしこリーグ1部に所属するINAC神戸レオネッサのヘッドコーチに就任することが発表された[28]。 2020年1月13日、ニッパツ横浜FCシーガルズのヘッドコーチに就任した[29]。同年10月、神野卓哉に替わる監督代行として2試合を指揮し[30][31]、14日付で監督に就任した[32]。シーズン終了後、ヘッドコーチに復任(要田勇一が監督に就任)。 2021年12月8日、ニッパツ横浜FCシーガルズヘッドコーチ退任が発表され[33]、2022年2月7日にFCバレイン下関の監督就任が発表された[34]。 所属クラブ
個人成績
代表歴
指導歴
監督成績
脚注
関連項目
外部リンク
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