倭文神社 (奈良市)
倭文神社(しずりじんじゃ)は、奈良県奈良市西九条町二丁目にある神社。 歴史神護景雲2年(768年)、武甕槌命が鹿島神宮より春日大社に遷座した際、供奉した中臣時風・秀行がこの辰市の地に居住し、常陸国より祖神武羽槌雄神(織部の神)を勧請したという[3][4][5]。倭文氏はその後裔で、辰市郷に住み神衣を織ったと伝わる[3][4]。古くから、「しずりのやしろ」あるいは「ひずりのやしろ」と呼ばれてきた[3][6]。 祭神社殿本殿三間社流造、向拝の柱間一間[2]。 春日大社末社三十八所神社の旧本殿の移しと伝わる[2]。 境内社若宮社蛇塚社境内の東北隅に、独立したような形で鎮座する[3]。祭神は須佐之男命で、八阪神社とも呼ばれる[3]。桁行2尺、梁行1尺6寸の小さな社殿で、少し高くなった所に蛇塚がある[3]。 祭事蛇祭例祭は蛇祭として知られる[3]。麦藁で5メートルほどの大蛇を造り、街を練り歩いたのち境内に納める[7]。御供も蛇型で、サトイモの茎で作られる[7]。子供相撲が執り行われ、拝殿には1890年(明治23年)の相撲の絵馬が掲げられている[7]。 1915年(大正4年)の神社調査書には、当時の祭礼の様子が次のように残されている[7]。 ギャラリー
出典参考文献
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