依田四郎依田 四郎(よだ しろう、1882年(明治15年)12月12日[1] – 1957年(昭和32年)1月3日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。満州国蒙政部次長。 経歴大分県出身[2]。1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業[3][4]。1904年(明治37年)2月、歩兵少尉に任官[4]。1915年(大正4年)に陸軍大学校(27期)[4]を卒業した[3]。浦塩派遣軍参謀、第20師団参謀、久留米連隊区司令官、歩兵第23連隊長、第4師団参謀長を歴任した[1][3]。1931年(昭和6年)、陸軍少将、歩兵第38旅団長となり、満州事変の際には混成第38旅団長として出動した[2]。1933年(昭和8年)、待命、予備役[2]。 予備役後は満州国で興安総署次長、蒙政部次長を務め、1937年(昭和12年)に退官した[3]。1939年(昭和14年)に満洲天産株式会社社長に就任した[3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 栄典
脚注
参考文献
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