佐賀県立神埼高等学校(さがけんりつ かんざきこうとうがっこう)は、佐賀県神埼市神埼町本告牟田に所在する県立高等学校。
文部科学省の学力向上フロンティアハイスクールに指定されている。
概要
- 歴史
- 1929年(昭和4年)開校の高等女学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。2014年(平成26年)に創立85周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 普通科(1学年あたり120名(3学級))
- 校訓
- 「至誠・尚学・進取」
沿革
- 1929年(昭和4年) - 「佐賀県立神埼高等女学校」として開校。
- 入学資格を尋常小学校を卒業した12歳以上の女子とし、修業年限を4年(現在の中1から高1に相当)とする。
- 1931年(昭和6年)- 校舎が完成。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 中等学校令の改正により、修業年限が5年に改められる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制の中学校を併設の上(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校の3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、高等女学校が廃止され、新制高等学校「佐賀県立神埼高等学校」が発足。この時点では女子校であった。
- 通常制普通課程・家庭課程(全日制課程普通科・家庭科)を設置。
- 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は継承され、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。旧制中等教育学校から新制高等学校への移行が完了する。
- 4月1日 - 高校三原則に伴う公立高等学校再編により、男女共学となる。定時制を併置。
- 1952年(昭和27年)4月12日 - 脊振分校(全日制・定時制)を設置。
- 1953年(昭和28年)- 三瀬分教室(農林科・家庭科)を設置。
- 1955年(昭和30年)5月1日 - 脊振分校を三脊分校に改称。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 本校定時制の募集を停止。三脊分校を佐賀県立神埼農業高等学校へ移管。
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 本校定時制を廃止。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。
- 1969年(昭和44年)- 新校舎が完成。
- 1976年(昭和51年)10月25日 - 第31回国民体育大会開催の折、昭和天皇の行幸先の一つとなった[1]。
- 2021年(令和3年) - 神埼町本告牟田に現校舎が完成し移転[2]。
基礎データ
所在地
神埼市街地西側にあたる神埼市神埼町本告牟田に所在する。南に隣接して佐賀県立神埼清明高等学校がある[2]。両校は生徒減少に伴い2010年代に再編統合が検討されたが存置となり、隣接する校地で連携を強化する計画が発表されている[3]。
2021年までは田道ヶ里[2]の神埼市街地東側にあった。
象徴
- 校章
- 中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は古賀哲、作曲は井本喜代による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
行事
部活動
- 運動部
- 文化部
著名な出身者
脚注
関連項目
外部リンク