佐藤親弘
佐藤 親弘(さとう ちかひろ、1893年(明治26年)3月23日[1] - 1961年(昭和36年)8月15日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)・弁護士。 経歴栃木県出身[2]。1923年日本大学専門部法律科卒[2]。弁護士となり、宇都宮市議、栃木県地方労働委員会会長、宇都宮弁護士会会長となる[2]。 1947年の第23回衆議院議員総選挙において栃木2区から日本自由党公認で立候補して落選[3]。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補して初当選[3]。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選[3]。1953年の第26回衆議院議員総選挙で復帰した[3]。1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選し[3]、以後立候補しなかった。この間自由党幹事を務めた[2]。 このほか宇都宮学園高等学校理事、栃木県体操協会会長を務めた[2]。 脚注参考文献 |