佐藤 晋也(さとう しんや、1980年6月8日 - )は、日本のレーシングドライバー。宮城県出身。血液型はAB型。東北学院中高出身。
略歴
17歳でカートデビュー。1998年にカートの東北地方選手権FR2クラスで4戦4勝でタイトルを獲得[1]。1999年に全日本選手権FAクラスに参戦と併行して鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-F)に入校、卒業後のスカラシップを獲得。2000年にフォーミュラ・ドリームに参戦。2001年~2003年は全日本F3選手権にフル参戦し、2002年にはシリーズ4位という成績を残している。25歳で一度レース活動を休止するも、2011年に復帰、2013年にはスーパー耐久3クラスで佐藤晋也、吉本大樹、脇阪薫一のトリオでシリーズチャンピオンを獲得している。2014年のSUPER GT 鈴鹿1000kmではサードドライバーとして登録、決勝は出番はなかったものの、優勝し表彰台に上がっている。現在は日本で一番エントリー台数を集める人気レース 86/BRZレースのプロフェッショナルクラスに参戦中。
レース戦績
- 1999年
- SRS-F入校、卒業後のスカラシップ獲得
- 全日本カート選手権・東地域(シリーズ4位)
- 2000年
- フォーミュラ・ドリーム(#10 SRS-FスカラシップFD)
- 全日本F3選手権<Rd.9,10 スポット参戦>(#64 PIAA DALLARA 無限/ダラーラF399・無限MF-204)
- スーパー耐久・グループNプラス<Rd.7,8 スポット参戦>(#64 ケージーエム・アルテッツア)
- 2001年 - 全日本F3選手権(#64 PIAA DALLARA 無限/ダラーラF399・無限MF-204)(シリーズ7位)
- 2002年
- 全日本F3選手権(#64 PIAA DALLARA 無限/ダラーラF302・無限MF-204B)(シリーズ4位)
- F3マカオGP(11位)
- F3コリアGP(スイス・レーシング #32 ダラーラF302・オペル)
- 2003年
- 全日本F3選手権(#2 戸田無限ホンダ FIGHTEX/ダラーラF302・無限MF-204B)(シリーズ7位)
- スーパー耐久・クラス4<Rd.7 スポット参戦>(Fast Beut Produts #74 TUBE・C-WEST・JBM・DC5)
- 2004年 - スーパー耐久・クラス1、クラス4にスポット参戦
- 2005年 - 十勝24時間レース・ST1クラス(SCAPE45 #45 スケープ45スペックスポルシェ)(総合12位・クラス3位)
- 2011年 - スーパー耐久・クラス3(最高2位)
- 2012年 - スーパー耐久・クラス3 シリーズ3位(優勝2回)
- 2013年 - スーパー耐久・クラス3 シリーズチャンピオン(優勝5回)
- 2014年
- 86/BRZレース シリーズ8位(最高4位)
- スーパー耐久・クラス3
- SUPER GT・300クラス<Rd6,8 スポット参戦>
- 2015年 - 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ19位(最高2位)
全日本フォーミュラ3選手権
SUPER GT
人物
- 子供の頃からとても運動神経が良く、小学校6年の時には仙台市陸上記録会100mで3位という結果を残している。
- 父である佐藤博俊がレスリングで日本一になっていた事もあり、陸上をやめた時に強烈にレスリングをプッシュされ、「欲しがってたゲームソフトを買ってやるから」の一言で15歳の時にレスリング部に入部するも、3か月で退部。ちなみに買ってもらったゲームソフトは「中嶋悟のF1ヒーロー」だった。
- モータースポーツの世界を知ったきっかけは、テレビで見たF1だった[1]。
- レースを始めようとするも、家族に猛反対されるが、17歳でレンタルカートに乗って以来その思いは強くなり、「カートをやらせてくれなかったら、学校も行かない」と強行手段に出て、親が折れる形でレース活動が始まった[1]。
- 25歳で一度レース活動を休止するも、長いブランクを経て31歳で再度レースに復帰。それ以来、一貫して大阪トヨペットグループ(OTGモータースポーツ)のチームでドライバーをしている。
脚注
- ^ a b c オートスポーツ 2000年5/4,18日合併号 84頁「フォーミュラドリーム・チャレンジ2000 第4回19歳ルーキー二人、それぞれの挑戦!SRS-F出身ドライバー佐藤晋也&中村裕史」
関連項目
外部リンク