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佐藤忠次郎
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"佐藤忠次郎"
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(
2011年1月
)
佐藤忠次郎
(さとう ちゅうじろう、
1887年
1月11日
-
1944年
)は、佐藤造機(
三菱マヒンドラ農機
)の創設者。
島根県
出雲郷村
(現・
松江市
)出身
[
1
]
。
人物
1887年
1月11日
に
島根県
意宇郡
出雲郷(あだかえ)村
(現・
松江市
)で生まれる。
自転車の車輪の回転が道端の稲穂を引っ掛けているのを発見し、高速に回転するものに稲穂を当てれば、効率よく稲穂が落ちるのではないかと考え、
1914年
(
大正
3年)に回転式稲扱機の発明に成功。
1917年
(大正6年)には、中耕除草器の発明に成功。その後
揖屋村
(現・松江市)に「佐藤造機」を設立。
揖屋村長に就任し、翌年に町制を誕生させ、10年間にわたり、揖屋町を支えた。また、県議会議員としても6年間県政に関わり、功績を残した。
三菱マヒンドラ農機
本社の公園内には、高さ1.3mの銅像がある。
彫刻家
安達貫一
が作製し、
1960年
(
昭和
35年)に建立された。
佐藤忠次郎が暮らしていた家は、「
佐藤忠次郎記念館
」として、保存されている。
考案した主な農機具
回転式稲扱機
中耕除草器
動力脱穀機
動力籾摺機
脚注
^
佐藤造機を創設 佐藤忠次郎
山陰中央新報
2018年7月10日閲覧。
関連項目
三菱マヒンドラ農機
佐藤忠次郎記念館
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