佐藤 尚中(さとう たかなか、さとう しょうちゅう、1827年5月3日(文政10年4月8日)- 1882年(明治15年)7月23日)は、幕末から明治初期の蘭方医。幼名を竜太郎、舜海と称し、笠翁と号す。佐藤泰然の弟子でのちに養子となる。下総国小見川(現・千葉県香取市)出身。東京順天堂の第2代堂主、順天堂医院の初代院長。生年については諸説ある。
略歴
家族・親族
- 妻:サダ(高橋忠三郎の次女)
- 後妻:ナホ(城氏)
- 養嗣子:進(妻・サダの甥)
- 長女:志津(養嗣子・進の妻。女子美術学校長)
- 長男:百太郎(ニューヨークで実業家)
- 次女:藤(三宅艮斎の長男・三宅秀の妻)
- 次男:哲次郎(1860-1929) ‐ 東金町の薬種業大野家の婿養子となり9代目大野伝兵衛を襲名する。大野家は東金を代表する豪商のひとつで、6代目の伝兵衛(秀澄、1750-1825)の代に小児薬「一角丸」を製造販売し巨富を得た。その孫の8代目伝兵衛(秀頴、1830-1876)は東金領主の福島藩 主板倉家の御用金御用達頭取となり、さらに山林を拓いて茶園も経営し、「東嘉園」の名を有栖川宮熾仁親王より賜り、茶の輸出も行なった。11代藩主板倉勝長から名字帯刀を許され、水戸徳川家の出入りも許された。東金に郵便局を設立し、死後は娘婿の哲次郎が受け継いだ。哲次郎は合資会社大野銀行を創立し、千葉県農工銀行の取締役も務めた。[1][2][3][4]
- 養子:舜海(前名大道、旧名岡本道庵。後年、佐倉順天堂主となる。妻は佐藤進の実妹トシ)
- 養子:佐(旧名:井上虎三)
- 三女:楽(佐藤佐の妻)
- 三男:衛(のち母の実家・城氏を継ぐ。米国工学士)
- 四女:梅尾(佐藤進の養女になり、佐藤恒久(旧姓松下)の妻・佐藤清一郎の養母)
- 五女:幸(佐藤進の養女となり、日本鋼管創設者の一人・今泉嘉一郎の妻に)
- 四男:福待(幼名華江(はなえ)。米国写真学士・東京で写真館主)
- 五男:潤家(ますえ)(大滝富三の養子となる。子息は紀雄)
脚注
外部リンク
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