佐藤三郎 (海軍軍人)
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1885年(明治18年)6月24日 - 1938年(昭和13年)8月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 経歴福島県出身。旧二本松藩士・佐藤健蔵の三男として生まれる。1906年11月、海軍兵学校(34期)を次席で卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、同専修学生(航海術優等)として学び、「隅田」乗組、「矢矧」分隊長、「秋津洲」航海長、第3艦隊参謀、練習艦隊参謀などを経て、1918年11月、海軍大学校(甲種16期)を首席で卒業した。 →詳細は「海軍大学校卒業生一覧 § 甲種16期」を参照
以後、アメリカ駐在、アメリカ大使館付武官補佐官、横須賀航空隊付、軍令部第1班第1課参謀、兼参謀本部員、米国出張、霞ヶ浦航空隊副長、海軍省軍務局第1課長、欧州出張(ロンドン海軍軍縮会議随員)、「八雲」艦長、横須賀鎮守府付などを歴任し、1931年12月、海軍少将に進級。 霞ヶ浦航空隊司令、海軍航空本部技術部長、兼同本部総務部長、第1航空戦隊司令官などを経て、1936年12月に海軍中将となる。その後、海軍大学校校長、海軍軍令部出仕を歴任するが、1938年8月に卒去。墓所は谷中霊園。 親族妻は横山正恭(機関少将)の娘で、百武源吾は義兄となる[1]。 出典
参考文献 |