佐伯社屋佐伯 社屋(さえき の もりや、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。姓は宿禰。官位は正五位下・但馬守。 経歴延暦23年(804年)桓武朝における第四次蝦夷征討が計画され、坂上田村麻呂が征夷大将軍に就任すると、社屋は出羽守に任ぜられ、百済王教雲・道嶋御楯とともに征夷副将軍となる。しかし、翌延暦24年(805年)徳政相論により遠征は中止された[1]。 平城朝でも大同3年(808年)美濃守次いで但馬守と地方官を務め、翌大同4年(809年)従五位上に昇叙された。嵯峨朝の弘仁5年(814年)正五位下に至る。 官歴『日本後紀』による。
脚注
参考文献 |