伊藤 進(いとう すすむ、1914年(大正3年) - 2013年(平成25年)1月)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機操縦者、実業家。最終階級は海軍大尉。兵庫県出身。
経歴
- 1914年(大正3年)、兵庫県出身。
- 第1期海軍飛行予科練習生に合格して、1930年(昭和5年)に海軍に入隊。1933年(昭和8年)に操縦専修卒業。
- 1934年(昭和9年)より「球磨」「衣笠」等、各種の艦艇に乗り組む。
- 1939年(昭和14年)には兵曹長(准士官)に任官。
- 1941年(昭和16年)から1943年(昭和18年)にかけて、伊号第二十一潜水艦飛行長。
- 霞ヶ浦航空隊教官を経て、1944年(昭和19年)7月から第三〇二海軍航空隊分隊長を務める。三〇二空では雷電を駆って、本土防空戦に活躍する。
- 1945年(昭和20年)7月31日にロケット戦闘機「秋水」運用予定の第三一二航空隊に転属。同隊で終戦を迎える。最終階級は大尉。
- 2008年(平成20年)、戦争で多くの若者が学校で学ぶことができず、亡くなったことを思い「学校教育の振興に活用してください」と岩国市に1億円を寄付[1]。
- 戦後自らが設立した事務機器会社・桧山事務器(岩国市)の会長として、長らく活躍していたが、2013年(平成25年)1月死去。
脚注
出典
参考文献
- 「歴史群像」三〇二空「雷電隊」分隊長『伊藤進インタビュー・後編』(学研、2010年2月号)