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この項目では、歴史学者について記述しています。川崎汽船社長の同名の人物については「伊藤潔 (実業家)」をご覧ください。 |
伊藤 潔(いとう きよし、1937年12月20日[1] - 2006年1月16日)は、東アジア政治外交史専攻の歴史学者、同地域研究者。
来歴
日本統治時代の台湾・宜蘭県出身[2]。国立中興大学卒業後、1964年に来日し、1969年に早稲田大学を卒業[2]。東京大学大学院博士課程修了、文学博士(博士論文は「台湾統治と阿片問題」)。1982年、日本に帰化した[2]。二松學舍大学教授、杏林大学教授を務めた。2006年1月16日、杏林大学医学部付属病院において心不全のため死去[2]。
帰化以前の名は「劉 明修」であったが、日本国籍取得時に「伊藤 潔」に改名。「伊藤」という姓は、伊藤 潔が最も尊敬する人物伊藤博文から苗字を拝借したものである。
著書
脚注