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艦歴
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計画 |
昭和6年度計画(第一次補充計画)
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起工 |
1933年12月16日
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進水 |
1935年4月6日
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就役 |
1937年1月7日
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その後 |
1942年11月10日戦没
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除籍 |
1942年12月15日
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性能諸元
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排水量 |
基準:1,400トン 常備:1,785トン 水中:2,440トン
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全長 |
104.70m
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全幅 |
8.20m
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吃水 |
4.58m
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機関 |
艦本式1号甲8型ディーゼル2基2軸 水上:9,000馬力 水中:1,800馬力
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速力 |
水上:23.0kt 水中:8.2kt
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航続距離 |
水上:10ktで14,000海里 水中:3ktで65海里
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燃料 |
重油:341t
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乗員 |
68名
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兵装 |
12cm単装砲1門 13mm機銃1挺 7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門 魚雷14本 MV式水中聴音機 九一式探信儀
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備考 |
安全潜航深度:75m
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伊号第百七十二潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の5番艦。竣工時の艦名は伊号第七十二潜水艦。
艦歴
撃沈総数2隻、撃沈トン数12,496トン。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』435頁による。
艤装員長
艦長
- 南里勝次 少佐:1937年1月7日 - 1937年12月1日[7]
- 栢原保親 少佐:1937年12月1日 - 1939年10月10日
- (兼)堀武雄 少佐:1939年10月10日[8] - 1939年11月20日[9]
- 小泉騏一 中佐:1939年11月20日 - 1941年8月20日[10]
- 戸上一郎 少佐:1941年8月20日 - 1942年5月20日
- (兼)江見哲四郎 中佐:1942年5月20日 - 1942年6月30日
- 大田武 少佐:1942年6月30日 - 11月3日戦死
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』73-74頁。
- ^ a b c 『艦長たちの軍艦史』435頁。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ a b c 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』111頁。
- ^ 『日本海軍史』第7巻、357頁。
- ^ 『官報』第2788号、昭和11年4月21日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第389号 昭和14年10月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076400
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第405号 昭和14年11月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076900
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第695号 昭和16年8月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9