伊久国造
伊久国造(いくのくにのみやつこ、いくこくぞう)は、のちに陸奥国となる地域(伊久国)を支配した国造である。 概要表記『先代旧事本紀』「国造本紀」に伊久国造と表記される。 先祖氏族国造を務めた氏族は不明である。 本拠国造の本拠(官府)は角田市に置かれていたとされ、角田市内や近隣の丸森町には前方後円墳や円墳など古墳が多数存在する。 支配領域国造の支配領域は当時伊久国と呼ばれた地域、後の陸奥国伊具郡で、現在の角田市、丸森町に相当する。 氏神国造の氏神は不明である。ただし『延喜式』に記載されていないものの、諏訪神社(宮城県角田市佐倉)は伊久国造の豊島命を奉斎して、佐倉(佐久良)神社と称したとされる[1]。 墓脚注関連項目 |