京極純一
京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年(大正13年)1月26日 - 2016年(平成28年)2月1日)は、日本の政治学者(政治学・政治過程論)。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学法学部教授、千葉大学法経学部教授、東京女子大学学長などを歴任した。 来歴生い立ち京都市生まれ。高知県へ転居して中村中学校4年修了、旧制高知高等学校を経て、1947年(昭和22年)東京大学政治学科卒業[1]。 政治学者として東京大学大学院特別研究生などを経て、1952年(昭和27年)東京大学法学部講師、1954年(昭和29年)同助教授。1965年(昭和40年)より東京大学法学部教授。その後は千葉大学法経学部教授、1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)まで東京女子大学学長を務めた。 1989年(平成元年)紫綬褒章受章。1997年(平成9年)12月12日日本学士院会員。1998年(平成10年)勲二等瑞宝章受章[2]。2001年(平成13年)文化功労者。 2016年(平成28年)2月1日、老衰のため死去。満92歳没[3]。 研究大学院時代の指導教官は堀豊彦で、専門は政治意識論、日本政治論。統計学や計量分析を取り入れて選挙や世論、政治意識を分析し政治過程論として発展させ、戦後の日本政治を考察した先駆者である。1983年(昭和58年)刊行の著書『日本の政治』では、日本の政治文化について、「タテマエとホンネ」や「根回し」、あるいは「内と外」や「義理人情」などの言葉を使って考察し、日本政治の仕組みを人々の生活感覚、秩序像、死生観にまで遡って論じ、大きな反響を呼んだ。NHKの「週刊・ヤング情報」(1991年度)[4]等、マスコミにたまに登場する時の飄々とした佇まいとは異なり、政治学の教師としてはきわめて厳格で、研究発表の場では鋭い質問でしばしば学生や若手研究者を立ち往生させたという。主な門下生として川人貞史、茅野修の他、法学部助手在任中に夭折した新井啓右がいる。 社会的活動著書単著
共著
共編著
脚注 |